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連載・特集

緑地帯 川端康成とヒロシマ 森本穫 <1>

 「川端康成 珠玉のコレクション展」が、ひろしま美術館(広島市中区)で開催されている。「川端康成とヒロシマ」のコーナーも設けられているので、胸の高鳴りを覚えずにはいられない。

 長く忘れ去られていた、川端のヒロシマへの思い、平和を希求する熱意と行動が、これを機に多くの人々に知られることを期待するからである。

 5月27日、オバマ米大統領が広島の平和記念公園を訪問してスピーチした時、私は今から66年前、1950年4月15日の午後に、川端が自ら起草した「平和宣言」を朗読した瞬間を想起していた。

 場所は、新装なった広島市中央公民館。川端を先頭に、日本ペンクラブの会員19人が訪れて、午前には広島の文学人とともに「日本ペンクラブ・広島の会」を開き、午後には「世界平和文化大講演会」を開いて作家たちが講演し、最後に川端が「平和宣言」を読み上げたのである。その時の満場の人々の感動や熱気と重なるように思えたのだ。

 では、どのような経緯で、この「平和宣言」に至ったのか。また、そこには川端自身の、どのような個人的な動機がこもっていたのだろうか。

 川端はその2年前の48年6月、志賀直哉の後任として日本ペンクラブの第4代会長に推挙され、就任した。すると川端は、明確な運動方針を打ち出した。平和への希求と具体的行動としての、国際ペンクラブへの復帰だった。(もりもと・おさむ 川端康成学会特任理事=兵庫県姫路市)

(2016年9月21日朝刊掲載)

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