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連載・特集

緑地帯 川端康成とヒロシマ 森本穫 <6>

 日本ペンクラブ「広島の会」に参加する一行19人は、被爆5年後の1950年4月14日午後2時47分着の汽車で、広島駅に降り立った。記者団に取り囲まれ、一行のうちただ一人の女性作家・真杉静枝は「大田洋子さんの『屍の街』を号泣しながら読みました。被爆者の声を直接聞きたい」と話している。

 駅長室で小憩の後、一行は、爆心地など市内各所を3時間にわたって視察見学した。広島赤十字病院では、原爆症について院長の説明を受けた。  翌15日午前には、現中区の基町ガスビル講堂で、地元文化人らとともに「日本ペンクラブ・広島の会」を開催した。席上、水島治男書記長は、川端康成起草になる「平和宣言」を読み上げた。

 午後は会場を近くの中央公民館に移し、「世界平和文化大講演会」を開いた。一人一人が被爆地での実感を基に、平和への願いを熱く語ったのである。最後に川端が「平和宣言」を朗読し、満場の聴衆から万雷の拍手を浴びた。われわれペンマンは「世界平和擁護のために純粋誠実なる努力を果たす」と誓い、「内外に宣言する」ものであった。さらに一行は17日夕刻、長崎に入った。

 日本ペンクラブの広島・長崎訪問は全国的にも反響を呼び、雑誌「世界」と「キング」の各7月号は特集を組んだ。川端は「キング」に「武器は戦争を招く」と題して「平和宣言」を掲載し、文学者の広島訪問の意義を述べた。水爆や東アジアの戦争(朝鮮戦争)にも言及している。(川端康成学会特任理事=兵庫県姫路市)

(2016年9月28日朝刊掲載)

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