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連載・特集

緑地帯 父のこと 四国光 <4>

 2015年秋、父の追悼展第3弾として「四國五郎のシベリア抑留記」が広島県民文化センター(広島市中区)で開かれた。

 敗戦から1948年11月まで、父は3年強シベリアに抑留された。マイナス50度の極寒、強制労働、飢え、上官によるリンチ。特にリンチがひどく、「顔の形が変わるほど殴られた」。懸命にもがき生きた極限の3年間だった。

 その記録を、この展覧会では初めて一堂に展示した。チラシに「父が生きていたら、内心、最も心震える展覧会だったかもしれない」と書かせていただいたが、シベリアは父が人生の中で、最も濃密に生きた時間だった。その意味で、抑留体験は父にとって「地獄」であり「青春」だった。

 シベリアからの記録の持ち出しは厳禁だったが、極小の「豆日記」と仲間の名前を約60人彫り込んだ飯ごうを、命懸けで持ち帰った。他に例を見ないことらしい。父はその豆日記を土台に、帰国するや否や、戦争とシベリアの体験を猛烈な勢いで絵日記に再現した。約千ページ、辞書「広辞苑」ほどの厚みと大きさの「わが青春の記録」。絵や詩を書くための備忘録として使っていた。

 父は常々、自分のライフワークとして「戦争とシベリア抑留を本にまとめる」と宣言していた。しかし、備忘録にとどまったまま、結局まとめることなく逝ってしまった。なぜ、書かなかったのか。書けなかったのか。今となっては分からないが、息子である以上に一読者として、父の絵と詩と文による「シベリア抑留記」をぜひとも読んでみたかった。(四国五郎長男=大阪府吹田市)

(2016年10月6日朝刊掲載)

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