×

連載・特集

V7 私の鯉心 バレリーナ 森下洋子さん 原爆で傷ついた広島に

夢や希望くれた「家族」

 松山バレエ団(東京)団長でプリマバレリーナの森下洋子さん(67)=広島市中区出身=は、初優勝前の低迷期から広島東洋カープを応援し続ける。球団の歩みは、原爆の惨禍から復興を遂げたヒロシマの姿と重なるという。夢、希望、勇気を与えてくれるカープに感謝する。(聞き手は山本和明)

 25年ぶりの優勝に、「ブラボー」と拍手を送りました。うれしいのとは別に、もっと深い意味を感じています。原爆で草木も生えないと言われた中、カープは誕生した特別な球団。広島の人たちが、どれだけの希望をもらってきたか計り知れません。

勝利 大きな励み

 祖母は原爆で大やけどをして手が不自由でしたが、いつも明るく前向きでした。カープが勝つと「良かったね」と自分のことのように喜び、大きな励みになっていました。広島の人間はみんな夢や希望、勇気をもらってきた。自分たちの球団であり、自分たちと一緒に戦っている。そんな家族のような存在なのです。

 カープの思い出はたくさんあります。小学生の頃、広島市民球場によく行きました。母が袋町(中区)に開いた「きっちんもりした」にも、選手によく来ていただいた。でもこの頃は弱かった。当時の松田恒次オーナーの自宅に伺った時、根本陸夫監督が「今日も、負けました」と言って家に入ってこられたのをよく覚えています。

初Vは「本当?」

 バレエで上京してからも、雑誌「酒」の編集長だった佐々木久子さんたちがつくった「広島カープを優勝させる会」に参加していました。初優勝の時は、うれしいより何より「本当?」という感じでした。

 カープと言えば、練習の厳しさです。世界は違いますが、クラシックバレエも毎日の稽古の積み重ねがないとなし得ない。地獄のような練習を見ると、私もやらなきゃなと思いますよ。

 被爆から70年を迎えた2015年8月の「ピースナイター」では、マツダスタジアム(南区)で始球式をしました。私は被爆2世。世界に平和を訴える素晴らしい場を頂きました。

 オバマ米大統領が広島を訪問した歴史的な年に、カープが頑張ってくれました。しかし今も、世界では内戦や紛争が起きている。ヒロシマから生まれたカープが日本一になれば、平和への扉、希望への扉が大きく開くのではないでしょうか。

もりした・ようこ
 1948年生まれ。3歳でバレエを始めて小学6年で上京。71年に松山バレエ団に入り、バルナ国際バレエコンクール金賞を受賞するなど世界で活躍。文化功労者、広島県民栄誉賞。今年、舞踊歴65年を迎えた。広島市中区出身。

(2016年10月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ