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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] 宮崎国際大講師・笠井綾さん 演劇や絵で記憶を共有

 海外で被爆の惨禍を伝えようとすると、ヒロシマに対するさまざまな見方と巡り合います。そんな時は相手と対話するチャンス。被爆3世の私は高校生の時、広島から米国へ留学して気付きました。一方的に話すと相手の反発を招き、心を閉ざさせてしまいます。理解し合うには、どうすればいいか―。体を使った表現が鍵になりました。

 予想できない反応に驚いたのは、米ペンシルベニア州の高校に通っていた時です。祖母の被爆体験を友人に話すと、隣にいた米国人の男子が顔を真っ赤にして「パールハーバー」と話し始めました。英語に自信がなかったため、「どうしたの」と聞き返すこともできず、感情に「ふた」をしたまま過ごしました。

 祖母は、黒い雨を「しょうゆのよう」と例えて教えてくれました。救護活動した時の無力感が今もぬぐえず、平和記念公園(広島市中区)に近づけません。そばで聞いた自分もがれきの中をさまよった気になりました。被爆体験を伝えるのは「良いこと」と信じていましたが、歴史は相手によって見方が変わるのです。

 絵を描く行為が心の癒やしにつながると学び、大学院では「演劇療法」を研究する教員のアルマンド・ボルカスさんと出会いました。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生還者を両親に持ち、約600万人の犠牲者を生んだ悲劇がユダヤ人、ナチス側の2、3世に与えた精神的な影響や心の和解を調べていました。

 私もボルカスさんも戦争の歴史が「手の届く」所にある環境で育ちました。しかし彼は、同じ境遇の人に自らの研究を役立てようとしていました。私も被爆者や記憶を継ぐ若者に何かできないか。そんな思いで被爆60年の2005年、被爆体験を役者が即興劇で表現し、来場者の感想も演技する集いを開きました。

 戦争によるトラウマ(心的外傷)には、音やイメージなど体で覚えたものがあります。言葉で表せない部分を絵や演劇で表現することは、癒やしの一助になるだけではなく、経験していない人の理解を深め、記憶の共有を図れます。

 中国で日本の加害を学ぶ講座を開いたり、東日本大震災で被災した子どもと絵を描くボランティアを経験したりして昨年、帰国しました。対立関係を演劇や絵で表し、紛争や平和を考える活動もしています。

 ヒロシマは、世界の関心を集める力があります。悲しい歴史を伝えることにこだわらず、世界の反応と向き合い、互いを知る姿勢を持つことが大切だと思います。(山本祐司、写真も)

かさい・あや
 広島県海田町出身。被爆者の祖母の話を身近に聞いて育つ。安芸府中高2年の時に渡米。絵を描くのが好きで、大学時代から芸術を使って心の問題に向き合う「表現アーツセラピー」を研究。2015年9月から宮崎国際大講師。専門は臨床心理学。宮崎市在住。

(2016年10月10日朝刊掲載)

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