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連載・特集

緑地帯 民喜と歩く 竹原陽子 <1>

 私には繰り返し歩いている道がある。広島市出身の詩人原民喜が原爆被災時に避難し、小説「夏の花」に表した道である。その道は私だけでなく、実に多くの人が歩いている。ひとりで歩く人、文学グループ、教師と生徒、平和学習で歩く人たちなど。

 私は初め、2005年3月にひとりで辿(たど)った。縮景園の川岸に座って作品を読み、対岸が燃えて火照りを感じたさまを想像した。始終、民喜の声を聴く想(おも)いで歩いた。

 その年の8月、被爆問題研究者の進藤狂介さんが始められた「夏の花」を歩く会に参加し、後にその任を継いだ。毎年8月5日ごろ、会を催し、民喜のおいで著作権継承者の原時彦さんにお話しいただき、作品を朗読しながら皆さんと歩く。近年は年に3、4回ほど巡る。

 中区幟町の世界平和記念聖堂を出発し、民喜の生家跡・被爆場所、ゆかりの被爆柳、栄橋、縮景園と辿り、一部、路面電車や車も利用して、墓所の白島・円光寺、東区二葉の里の広島東照宮まで行く。東照宮には、民喜がその地で手帳に被爆の惨状を記録したことを記念する碑も立つ。約2・5キロ、およそ3時間半の道のりである。

 時彦さんは常々「民喜とともに歩く」と言われる。それは、私には四国遍路の弘法大師と歩く「同行二人」のようにも思われる。「夏の花」の道は、私にとっても、民喜とともに歩く平和への巡礼道である。(たけはら・ようこ 原民喜文学研究者=広島市)

(2016年10月14日朝刊掲載)

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