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連載・特集

緑地帯 民喜と歩く 竹原陽子 <2>

 2005年2月、私は本を売りに古書店へ出かけた。査定を待つ間、書棚を眺めていると、原民喜著「夏の花・心願の国」とあるのが目に入った。大江健三郎編集の新潮文庫だった。「広島の原爆を描いた作家、知っておいたほうがいいかな」。何げなく手に取った。はじめの数行で引きつけられた。余分な言葉の一語もない、研ぎ澄まされた美しい文体と思った。

 そうして、原民喜文学を読み進めるうち、遠藤周作が民喜から大きな影響を受けていたことが分かってきた。私は、大学時代は遠藤文学を研究した。師事するノートルダム清心女子大の山根道公先生に導かれ、在野で研究をするようになった。日本キリスト教文学会に所属している。

 遠藤が民喜と出会ったのは戦後である。大学を卒業したばかりの遠藤が、三田文学編集室の置かれていた東京・神田神保町の能楽書林を訪ね、そこに間借りして同誌の編集にも携わっていた民喜と知り合った。極端に無口で孤独に生きていた民喜と、いたずら好きでにぎやかな遠藤。2人は年齢差17歳、交友期間は3年にも満たなかったが、酔えば「お父さん」「ムスコ」と呼び合うほどに深い親交を結んだ。遠藤はのちに振り返り、「原さんという人は私だけでなく、周りの多くの人に強烈な痕跡を残して行きました。あの人の百倍も強烈なのが私にとってイエスかもしれないと思うことがあります」と記している。

 原民喜文学に出逢(あ)って、人生に痕跡を残された人は多い。私もそのひとりかもしれない。(原民喜文学研究者=広島市)

(2016年10月15日朝刊掲載)

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