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社説・コラム

『今を読む』 神戸市外国語大准教授・山本昭宏

シン・ゴジラVS現代日本 「核災害」は去っていない

 「シン・ゴジラ」は「リアルな映画」だと評価される。確かに、政治家や官僚たちによる「有事」の危機対応が圧倒的な情報量で描かれており、ゴジラによる東京の破壊とそれに対応する人びとの動向も息をのむほどの緊迫感に満ちていた。

 観客がすぐに気が付くように、「シン・ゴジラ」は、東日本大震災と福島第1原発事故の記憶を前提にしながら、原発災害にとどまらない核のリスクを訴えている。ゴジラの存在が原発事故を想起させるのは言うまでもないが、いつ動きだすかわからないゴジラとの「共存」というメッセージは、今なお世界で約1万を超える核兵器の存在を照らし出す。だが、「シン・ゴジラ」における核に関するメッセージは、映像や物語構成に比べ、「リアリティー」を欠くのではないか。

 そう考える理由は、放射性物質の描かれ方にある。映画の終盤では、ゴジラから放出された放射性物質の半減期が20日だとわかる。そして、政治家や官僚たちは復興の道筋を思って安堵(あんど)するのである。

 放射性物質による被曝(ひばく)や環境汚染は、原発災害の最大の問題点だ。この問題を等閑視して「この映画は原発災害後の日本をリアルに描いた」と評価してしまうのは、やや性急だろう。2016年の日本社会において、原発災害は今なお進行中だ。地中に氷の壁を造り、汚染水の増加を防ぐという凍土壁「作戦」は遅れ、除染作業も続いている。

 それでも、放射性物質への対応を描かない「シン・ゴジラ」に多くの観客がリアリティーを感じたとすれば、それは、現在の日本社会が、原発災害を「終わったもの」として想像力の外に置いていることの表れではないか。

 この映画が政治エリートたちの物語であることも、「原発災害は終わった」という方向付けに関係している。大規模災害に代表される非常事態や、安全保障をめぐる問題を語る際、私たちはしばしば、政治エリートの言葉やそれを論評する専門家の言葉を使う。原発災害や北朝鮮の核実験を語るとき、私たちの語り口は政治エリートのそれに似ていないだろうか。

 こうして、リスクを語る言葉からも「いま・ここを生きる私」が希薄になっていく。この事態は「シン・ゴジラ」の物語によく似ている。というのも、政治エリートら「公人」ばかりが描かれ、「私」がほとんど見当たらないのだ。

 この問題を、死者との関連で考え直してみたい。「シン・ゴジラ」では、具体的な死者がほとんど描かれない。名前を持つ死者は、官邸から待避する途中でゴジラに撃墜される政治家たちだけだ。

 にもかかわらず、破壊の映像から、観客は政治家以外の多くの死者の存在を意識できる。また、ゴジラに対する核攻撃を巡る議論の際、広島の原爆ドームと長崎の片足鳥居の写真がそれぞれ一瞬だけ挿入されるが、そこでも観客は、広島と長崎の原爆による死者を想像できた。これは、東日本大震災による大量死の記憶が、今なお残っているからだ。

 今年3月に発表された警察庁の資料によれば、東日本大震災による死者は1万5894人とされる。しかし、ほとんどの死者たちの名前を私たちは知らない。また、広島と長崎で死んでいった人びとの名前も知らない。原発災害により退避を強いられた人びとの名前も知らない。ある意味では致し方ないことだが、社会は「個人の死や悲惨」を無名化して集積し、それを「私たちの物語」へと変換する。

 「シン・ゴジラ」も同様である。この映画には死者の影があり、そこにリアリティーの根拠がある。しかし、同時に「私」の経験を薄めることで「社会を揺るがす危機は去ったのだ」という安心できる物語を提供している。確かに、とても面白い映画だったが、果たして、それだけで片付けていいのだろうか。

 むしろ、私たちは、「シン・ゴジラ」を手掛かりに、こう問うてみるべきだろう。日本社会は本当に核災害を経験した(している)と言えるのだろうか、と。

 84年奈良県桜井市生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程修了。著書に「核と日本人―ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ」「教養としての戦後<平和論>」など。専門は現代文化学、メディア文化史。

(2016年10月18日朝刊掲載)

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