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連載・特集

緑地帯 民喜と歩く 竹原陽子 <3>

 日々、海老根勲さんがおられたら―と思うことが多い。

 海老根さんは元中国新聞論説委員で、2000年に原民喜文学を顕彰する「広島花幻(かげん)忌の会」を立ち上げ、長く事務局長を務められた。亡くなられて4年になる。

 私は05年に海老根さんと出会った。インターネットで広島花幻忌の会の存在を知って連絡すると、受話器の向こうから「それなら、どうぞ次の会に来てみてください」と温かい声が聞こえた。

 そうして会に参加し、民喜のおいの原時彦さんをはじめ、多くの方と出会わせていただいた。会の機関誌「雲雀(ひばり)」に書くよう勧められたこともありがたかった。フランクな海老根さんらしく、内容、枚数とも自由で、おかげで私はのびのびした気持ちで、卒論以来、初めて論文を書いた。それから雑誌「三田文学」へ寄稿するようにもなった。

 海老根さんは、常に原民喜文学を民衆からの歴史的視座をもって捉えられていた。民喜という名前についても、生まれ年(1905年)に日露戦争が終結して「民が喜ぶ」という意味で名付けられたことを説明した後、必ず「この場合の民は、〈民衆〉ではなく、〈臣民〉としての〈民〉なのですよ」と語られた。

 海老根さんの死後、ふと私は自分がこの後半部分を語っていないことに気が付いた。頭で理解していても、私には民主主義の根が深く張っていないのだった。それからは努めて海老根さんから教えられたことを伝えていきたいと思っている。海老根さんから受けた私の宿題である。(原民喜文学研究者=広島市)

(2016年10月18日朝刊掲載)

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