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連載・特集

緑地帯 民喜と歩く 竹原陽子 <7>

 昨年7月、岩波文庫から「原民喜全詩集」が刊行された。この本の解説を書かれた批評家の若松英輔さんから声をかけてもらい、同書へ収録する年譜を作成した。

 年譜を編むのに、過去の年譜をすべて並べてみた。すると、いつ誰が何を加え、どこを修正したか、どういう思いで編まれたかがつぶさに分かった。

 残念ながら初期の年譜はもう通用しない。けれど、どの年譜も大切に編まれており、その積み重ねで今のあることを知った。そして私の作る年譜も、将来、確実に改訂されることを自覚した。私はいつの日か改訂してくれる誰かに向けて、ひたすらその人のことを思って書いた。

 今、私が簡単に得られる情報も、その人が作るときには辿(たど)りつくのに苦労するかもしれない。できることをしておかなければと思った。年譜はこれからも加筆修正していくつもりだが、私は現時点で分かる限りの事項を入れ、なんとなく10年から30年後くらいを思ってボールを投げた。

 そうしたとき、ふと、民喜が被爆体験を表した「夏の花」はどのくらいの射程をもって書かれたかと想像した。数十年、数百年ではないだろう。それは限りなく永遠に近いところを想(おも)って書かれた。

 「夏の花」が単行本となった時、民喜は帯に自ら「明日の人類におくる記念の作品」と記した。「夏の花」は、死者への哀悼と明日を生きる人類への溢(あふ)れる愛によって残された作品である。

 果たして今日、私たちは民喜のように明日の人類のことを思って生きているだろうか。自問する。(原民喜文学研究者=広島市)

(2016年10月22日朝刊掲載)

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