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連載・特集

人文学の挑戦 「個」の視座で問う 紋切り型の歴史に対抗

 ステレオタイプな歴史認識を、「個」の視座から読み直し、解きほぐそうとする試みがある。客観描写にとどまらず、個別の背景を持った一人の人間として、歴史上の事象に向き合う。ジェンダー(文化的・社会的につくられた性差)論の核心にある考え方、「個人的なことは政治的なこと」と響き合うそんな学究は、人文学の真骨頂でもあるだろう。(森田裕美)

 第2次世界大戦後、ナチス・ドイツから解放されたばかりのフランスでは、ドイツ兵と性的関係を持ったとされる女性たちが「対独協力者」として同胞から「丸刈り」にされる見せしめが横行した。

 今夏刊行された「丸刈りにされた女たち」(岩波書店)は、その歴史的事件に、髪を刈られた女性一人一人の目線で迫る。著書は、広島市佐伯区出身の藤森晶子さん(37)=東京都。2004~07年、フランスに渡って集めた「声」を、学術論文というよりはルポルタージュに近いスタイルでまとめている。

本の記述に違和感

 藤森さんが「女たち」と出合ったのは、大学入試直前、自宅で見たテレビのドキュメンタリー番組だった。フランス解放の場面で、「ドイツ兵と交際のあったフランス人女性へのリンチが始まった」との解説とともに、泣きながら画面に現れた髪の毛がない女性たち。「恋愛くらい自由にしてもいいではないか。こんな野蛮な暴力があっていいのか」と、つらくて見ていられなくなったという。

 その後、東京外国語大でフランス史を学び、手に取った現代史の本で再び「女たち」に出合った。「欠乏の時代に享楽を求めた女たち」などと説明されていたが、添えられた写真の中にいる彼女らは「とてもそんなふうには見えなかった」。

 フランスでの先行研究によると、対独協力者として髪を刈られた女性のうち、実際にドイツ兵と性的関係を持っていた女性は半分にも満たず、大半が経済的な協力者や、レジスタンス(反ナチス運動)の密告者だったという。丸刈りは「性的な対独協力への罰」ではなく、「対独協力への性的な罰」だったとも指摘される。にもかかわらず、日仏合作映画「ヒロシマ・モナムール」(邦題「二十四時間の情事」)の主人公などで知られるように、「女たち」の表象は「ドイツ兵の恋人」であり、フランス社会にはそのイメージが根強く残っているという。

 「彼女たちはどんな戦中を過ごし、丸刈りにされた後、どう生きたのだろう」。東京大大学院に進学した藤森さんは、証言を得るため、ドイツ国境に近いストラスブール第3大大学院に留学。フランスとドイツを現場に、手探りで調査を始めた。

タブー触れ抗議も

 現地に行けば証言が聞けると思ったが、調査は難航した。糸口をつかむため、フランス人女性とドイツ兵との間に生まれた子どもを支援する団体に依頼して関係者に手紙を出したり、地方紙に研究への協力を求める広告を依頼したり。だが、フランス社会では「掘り起こしてほしくない歴史」。「彼女たちは娼婦」「フランスの恥」などとして、研究への抗議も受けた。

 著書にはそんないきさつも含め、手の内を明かすように「女たち」の研究を巡る自身の体験がつづられている。「聞かせてもらった一人一人の言葉を大事にしたいという思いが強まっていった。さまざまな立場の女性がいたことを伝えたかった」と藤森さん。担当編集者の吉田浩一さん(46)は「戦後世代の著者が、丸刈りにされた女性たちの声を聞く自分自身について書いたことで、読む側も追体験できる」と話す。

 「あとがき」に藤森さんは記す。「他人の髪を本人の意思に反して奪うのは許されない暴力だ。だが『丸刈りにされた女たち』について、いくら秀逸な歴史書が出ようと、メディアで頻繁に取り上げられようと、もう一度歴史の中に戻してみると、『女性対独協力者』としてしか描かれないだろう」

 「女たち」をカテゴリー化し、歴史の大きな文脈で語って済ますのではなく、暴力の被害者として一人一人の声に耳を傾ける―。そのことは翻って、歴史の文脈を揺さぶる可能性もはらんでいる。

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インタビュー

広島市立大国際学部 ウルリケ・ヴェール教授

ヒロシマ 性差も糸口に

 日本近現代の女性史の研究を基盤に、広島市立大国際学部でジェンダー論を講じるウルリケ・ヴェール教授は、昨年12月、同市内で市民有志が開いた「被爆70年ジェンダー・フォーラムin広島」で実行委員会代表の一人を務めた。「ヒロシマ」を巡る言説を、ジェンダーの視点から問い直す試み。何が見えたのだろうか。

 ―どんな問題意識がありましたか。
 広島で20年以上暮らす私だが、「平和の象徴」として一元的に語られがちなヒロシマに、自分とのつながりを見いだせずにいた。純粋無垢(むく)な女性被害者像として被爆の記憶が描かれたり、母親が子供を守る平和の象徴とされたりすることにも違和感があった。

 2011年の東日本大震災、福島第1原発事故を経て、広島の女性たちによる反原発運動を調べ始めたことから、ヒロシマへ関心が向いた。そこに、もう一人の代表である、ひろしま女性学研究所(広島市中区)主宰の高雄きくえさんが声を掛けてくれ、フォーラムに結実していった。

 ―ヒロシマとジェンダーがどう関係するのかとよく聞かれますね。
 ジェンダーは「女性の問題」として捉えられがち。でも、性差を糸口に、個人として自分が抱える矛盾を社会構造の中で問うのがそもそもの考え方だ。「個人的なことは政治的なこと」の主張通り、あらゆるトピックに通じる。

 例えば、摂食障害に苦しむ女子学生がジェンダーを学ぶうち、自分の問題が「女性は痩せているのが美しい」という世間の目や既成の概念に結びついていると気付く。ヒロシマの例でいえば、原爆でケロイドを負った若い女性は、被害者の象徴として取り上げられやすい。若い女性は「容姿が大事」との考えが背景にあるからだ。

 ―フォーラムは一般に開かれた議論の場でした。
 修学旅行生に体験を語っている被爆者が、学校から政治的な話をしないよう求められたことへの疑義を唱えたり、福島から避難している女性が、「子供を守る母親」を演じなくてはいけないことへの違和感を語ったり。研究者だけではない老若男女が集まり、あらゆる立場の参加者が活発に意見を交わしたのが印象的だった。

 自分が個人としてぶつかった問題を社会に問うことで、構造的問題が見えてくる。フォーラムで、たくさんの要素が交錯するヒロシマが浮かび上がったように、ジェンダーの視点がそこで生きてくる。

 1962年、ドイツ・シュトゥットガルト生まれ。ドイツとオーストリアの大学で歴史と日本学を学び、大正期日本のフェミニズム研究で博士号取得。2回の日本留学を経て、95年に広島市立大に着任し、2006年から現職。

(2016年10月25日朝刊掲載)

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