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連載・特集

緑地帯 民喜と歩く 竹原陽子 <5>

 この夏、何度か紙芝居「夏の花」を上演した。紙芝居は2年前、福山市の西本章さん、千恵美さん夫妻の家庭文庫「のびる文庫」で声を掛けてもらったことがきっかけで制作し、昨年、のびる文庫からの自費出版で300部を発行した。福山、広島、三原市では全ての図書館に置いてもらっている。

 本文は「夏の花」の原文を極力変えずに抜粋し、詩「水ヲ下サイ」と「永遠のみどり」を加えて構成している。絵は、私が画用紙を切り貼りして作った抽象的な画で、1枚は、原民喜のおいで原爆死した文彦を父の原守夫さんが描かれた絵を使わせていただいた。

 紙芝居を読むとき、いつも子どもたちと想像したいと思っていることがある。民喜が「暗闇がすべり堕(お)ちた」と表現した被爆時の衝撃についてである。

 そもそも「暗闇」はすべり墜ちない。光のない、真っ暗の状態をいう。いま完全な暗闇を体験することはあまりないが、本当の暗闇は恐ろしい。その暗闇がすべり墜ちる。降ってくるのではない。

 滑り台で遊んだときのことを思い出してみる。すべって下りると、勢い加速し、地面に足が着くと、足裏にじーんと軽い痛みがある。では、暗闇という途方もなく巨大で恐ろしいものが、ものすごい勢いで加速し、地面に着くとどうなるか。私はこのことを想(おも)ったとき、自分の腹の底に爆撃を受けたような衝撃を感じ、恐怖を覚えた。

 文学は読み手を内側から揺さぶり、人を内側から変える。「夏の花」を読み返すたび、新たにされるのを感じている。(原民喜文学研究者=広島市)

(2016年10月20日朝刊掲載)

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