×

ニュース

元中国新聞記者の浅野温生さん 被爆の記憶を証言

■記者 水川恭輔

 入市被爆者で、中国新聞記者として原爆報道にあたった浅野温生さん(76)=広島市南区=が原爆資料館(中区)の証言ビデオ収録に応募し、10月30日、原爆投下2日後に市内で幼なじみを捜した記憶を証言。「原爆報道にこだわったのは、自分の被爆体験がある」との思いを語った。

 浅野さんは当時、旧制広島二中(現観音高)2年。8月6日は祖父母が住む上蒲刈島(呉市)へ向かう船にいた。広島に戻ると皆実町(南区)の自宅は倒壊。大やけどを負った幼なじみを鶴見橋(中区)東詰の防空壕(ごう)で見つけた。

 浅野さんは防空壕があった鶴見橋のたもとの河岸で、カメラに向かった。「『お母ちゃん』と三度呼んで息を引き取りました」とつらい記憶をたどり、「原爆で滅びた町と人間の暮らしに思いを寄せてほしい」と訴えた。

 浅野さんは記者時代、被爆者の戦後を追う連載「ヒロシマ20年」などを担当した。被爆者の思いの代弁に専念し、自分の体験を語ることはなかったが、記憶の継承に少しでも役立てばと収録に協力した。

(2008年10月31日朝刊掲載)

年別アーカイブ