×

ニュース

現場発2016 中国残留孤児 不安な老後 

日本語不自由 介護サービス利用困難 広島 対応事業所が不足

 日本に帰国した中国残留孤児が高齢化し、介護の問題に直面している。成人後まで中国で暮らし、日本語が不自由な人が多い半面、中国語を話せる介護スタッフが少ないためだ。介護サービスを受けるのに十分な体制が整わない中、残留孤児とその家族が多く暮らす広島市では、帰国者団体が介護予防のために独自の講座を始めている。(栾暁雨)

独自の予防講座

 「1、2、1、2。腕を伸ばして」。中国語の掛け声で約30人が体を動かす。残留孤児と家族でつくる広島市中国帰国者の会は、昨年4月から月4回、中区の市中央公民館で介護予防講座を開く。黒竜江省から1996年に帰国した高橋勝子さん(73)は「働き盛りの子どもに迷惑を掛けたくない」と打ち明ける。

 体操を教えるのは副会長の松山鷹一さん(51)。母が残留孤児で、中国で麻酔医をしていた松山さんは2年前、ホームヘルパー2級の資格を取得した。「言葉が通じないため、介護サービス利用を控える高齢の帰国者は多い。言葉の問題を理由にデイサービスの利用を断られた知人もいる」と松山さん。中国語に対応した介護サービスを担う事業者が少ないのが、講座を始めた理由だ。

 厚生労働省によると、広島県内で中国語を話すスタッフがいる介護サービス事業所は広島市、東広島市、福山市の社会福祉法人などの4法人しかない。高齢者が入居できる施設は福山市の1カ所に限られる。

 日本に永住帰国した残留孤児は、厚労省によると9月末現在、全国に2556人いる。国の生活支援給付金を受ける帰国者のうち、広島県の居住者は162人で、東京都や大阪府、長野県などに続いて全国9番目に多い。広島市地域福祉課によると、市内の給付金受給者は127人。中国・四国中国帰国者支援・交流センター(広島市南区)は「帰国者は家族を含めるとさらに多いはず」とみる。

「共倒れが心配」

 老いた帰国者を介護する戦後生まれの家族の負担は重みを増す。中区の60代男性は、同じ住宅に暮らす義父(77)が糖尿病、義母(76)がリウマチを患う。ホームヘルパーが週4回、自宅に来るが、片言の日本語しか話せない義父母の通訳として男性が付き添うことも多い。「日中、働きに出るのも難しい。介護疲れを感じることもあり、共倒れが心配」と先行きを憂える。

 全国約15カ所の帰国者組織は6月、中国語に対応した介護スタッフ養成と施設整備を求める要望書を厚労省に提出した。しかし、同省社会・援護局は「介護現場は慢性的な人材不足。中国語が話せる介護スタッフとなると少数で、必要数を確保するのは容易でない」とする。

 広島市中国帰国者の会も、同様の要望書を同省に提出する準備を進める。市に中国語スタッフ養成を求めているが、市は「国の政策が決定しないと、市独自に動くのは難しい」(地域福祉課)と慎重だ。

 厚労省が2009年度、全国の帰国者と家族4377人を対象に行った意識調査では、「将来に対する不安」(複数回答)として「健康」と「老後生活」を挙げた人は計2460人に上る。96年に帰国後、中区で暮らす70代女性は「戦争に巻き込まれ、中国で長く暮らした私たちも日本社会の一員。安心して長生きできる仕組みを早く整えて」と訴える。

中国残留孤児
 戦時中に旧満州(中国東北部)へ国策として移住した開拓団のうち、混乱の中で保護者や家族と離別し、中国に残された人々。厚生労働省は、当時13歳未満ぐらいで身元の分からない人や分からなかった人を残留孤児としている。国は1981年、残留孤児を日本に招いて肉親捜しを始めた。戦後35年以上たった80~90年代に帰国した人の大半は、日本語を話せなかった。

(2016年11月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ