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社説・コラム

天風録 「アトムとピース」

 その野球部はかつて、看板の強打から「アトム打線」と呼ばれた。甲子園にも3度出た、福島県双葉町の県立双葉高校。鉄腕アトムにちなんだ異名ではない。あの東京電力福島第1原発のお膝元だったからだ▲甲子園に初出場の1973年夏、初戦の相手はくしくも被爆地の県立広島商業高校だった。佃正樹投手を擁し、12対0で双葉高を退けた広商は余勢を駆って優勝する。だが「アトム」を上回る代名詞は授かっていない▲3・11以来、双葉町は全町避難を強いられている。野球部員も散り散りとなり、この5年間は公式戦に出ていない。それどころか本年度限りで母校そのものの休校が決まり、あす避難先で記念式典がある▲核の被災地福島を追った写真家、中筋純さんがこの春、広島市内で開いた作品展を思い出す。人影なき商店街に「本のことならブックスアトム」「旅のことならアトム観光」と看板があった。あの日までは、むしろ誇らしい3文字だったに違いない▲やはり片仮名3文字の「ピース」はさて、どうだろう。原発こそ原子力の「平和」利用―とのうたい文句がいまだに大手を振っている。すねに傷を持つのは、アトムもピースも変わらぬようだ。

(2016年11月4日朝刊掲載)

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