開発者親族 決意の参列 「回天」追悼式 300人集う 周南・大津島
16年11月15日
旧日本軍の人間魚雷「回天」の搭乗員たちの追悼式が13日、訓練基地のあった周南市大津島の回天記念館そばの慰霊碑前で営まれた。全国から遺族たち約300人が参列し、特攻で命を落とした若者に思いをはせ、平和の尊さをかみしめた。
回天顕彰会の原田茂会長(78)が「顕彰会の組織も少しずつ世代交代が進んでいる。周南市が平和の文化発信地になるよう活動していく」とあいさつ。参列者は白菊の花を供え、手を合わせた。ことしは同市の和田中と太華中の生徒5人が初めて参加し、参列者に花を手渡す役を担った。
航空自衛隊防府北基地(防府市)など県内の自衛隊基地所属機による追悼飛行や、回天を題材にした詩吟や合唱、太鼓の演奏もあった。(高田果歩)
回天開発者の一人で、初めて出撃した「菊水隊」隊員の仁科関夫中尉が父のいとこという英太郎さん(72)=長野県佐久市=が、初めて追悼式に参列した。隣には、菊水隊の攻撃に遭遇した米軍人を父に持つカレン・ウォールさん(62)=岩国市=の姿があった。
カレンさんの父、故ラッセル・エバンルードさんは菊水隊に攻撃された米タンカーの乗組員の救助に当たった水上飛行機の搭乗員だった。カレンさんは米海兵隊岩国基地の学校で働く夫ラリーさん(61)と2008年に来日。14年の追悼式参列を機に、仁科中尉の親族と交流を続ける。
仁科中尉の出身地である佐久市をことし4月に訪問。英太郎さんの案内で、同市にある回天の碑と中尉の墓前に手を合わせた。この出会いから、英太郎さんは妻良子さん(69)と大津島の追悼式への参列を決意。「行きたい思いはずっとあったが、カレンさんの呼び掛けでようやく実現できた」と目を細めた。
英太郎さんによると子どもの頃、家族の会話に回天はほとんど出てこなかった。「戦後間もなくは開発者の家族として口に出せなかったのだろう」。慰霊碑を見詰めた後、「かつての敵味方の関係を乗り越えて両者を追悼し、友好関係を築いていきたい」と英太郎さん。孫のブレイク君(1)を抱いたラリーさんとほほ笑むカレンさんに伝えた。(高田果歩)
(2016年11月15日朝刊掲載)
回天顕彰会の原田茂会長(78)が「顕彰会の組織も少しずつ世代交代が進んでいる。周南市が平和の文化発信地になるよう活動していく」とあいさつ。参列者は白菊の花を供え、手を合わせた。ことしは同市の和田中と太華中の生徒5人が初めて参加し、参列者に花を手渡す役を担った。
航空自衛隊防府北基地(防府市)など県内の自衛隊基地所属機による追悼飛行や、回天を題材にした詩吟や合唱、太鼓の演奏もあった。(高田果歩)
米軍人娘に「友好関係築きたい」
回天開発者の一人で、初めて出撃した「菊水隊」隊員の仁科関夫中尉が父のいとこという英太郎さん(72)=長野県佐久市=が、初めて追悼式に参列した。隣には、菊水隊の攻撃に遭遇した米軍人を父に持つカレン・ウォールさん(62)=岩国市=の姿があった。
カレンさんの父、故ラッセル・エバンルードさんは菊水隊に攻撃された米タンカーの乗組員の救助に当たった水上飛行機の搭乗員だった。カレンさんは米海兵隊岩国基地の学校で働く夫ラリーさん(61)と2008年に来日。14年の追悼式参列を機に、仁科中尉の親族と交流を続ける。
仁科中尉の出身地である佐久市をことし4月に訪問。英太郎さんの案内で、同市にある回天の碑と中尉の墓前に手を合わせた。この出会いから、英太郎さんは妻良子さん(69)と大津島の追悼式への参列を決意。「行きたい思いはずっとあったが、カレンさんの呼び掛けでようやく実現できた」と目を細めた。
英太郎さんによると子どもの頃、家族の会話に回天はほとんど出てこなかった。「戦後間もなくは開発者の家族として口に出せなかったのだろう」。慰霊碑を見詰めた後、「かつての敵味方の関係を乗り越えて両者を追悼し、友好関係を築いていきたい」と英太郎さん。孫のブレイク君(1)を抱いたラリーさんとほほ笑むカレンさんに伝えた。(高田果歩)
(2016年11月15日朝刊掲載)