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国超え供養 長門で脈々 日露会談1ヵ月前 兵士の墓に説明板

住民「大統領に思い伝える」

 12月15日に長門市である日ロ首脳会談まで1カ月となった15日、日露戦争時に両国兵士の遺体が引き揚げられた同市通(かよい)の海岸にある日本兵とロシア兵の墓そばに、地域住民と市が説明板を設置した。国を隔てず追悼してきた住民は「長門にある日ロ友好の証しを、プーチン大統領にも知ってもらいたい」と願っている。(原未緒)

 通小近くの案内板に従って海岸へ下ると、日本海に臨む2基の墓石が立つ。日露戦争時の1904年6月、中国への途上で撃沈された大型貨客船「常陸丸(ひたちまる)」に乗っていた日本人兵士の墓と、翌5月に日本海海戦で戦死、漂着したロシア人兵士の墓。この日、日本語と英訳で由来を伝える説明板(縦60センチ、横1・8メートル)が設置された。

 住民でつくる通まちづくり協議会が会談決定後、市に設置を働き掛けた。墓までの未舗装の道には会員たち約10人が階段を取り付けた。同会の新谷勇会長(73)は「立派な看板。会談で訪れる人たちに100年近く地域が弔ってきた歴史を知ってほしい」と話した。

 常陸丸の乗組員の墓は21年に住民が建てた。隣のロシア兵の墓は簡素なものだったという。祖父がロシア兵の遺体を引き揚げた後、家族で墓参りを続けてきた君川歌子さん(79)は「常陸丸の墓の横に、積み上げられた丸い石が幾つか並んでいた」と記憶をたどる。

 68年2月、同市仙崎で写真店を営んでいた故前田兼繁さんが草の中の墓に気付き、写真に収めた。「せめておにぎりやお酒を供えてやってほしい」と募金2千円を携えて市役所を訪問。市の担当者が通地区の老人会に伝え、同会が寄付金を募り、同年5月にロシア兵の墓が建ったという。

 前田さんの三男宏さん(72)は「終戦後に父と朝鮮半島から引き揚げ、長門に住んだ。苦労した兵士を手厚く弔いたかったのだろう」。宏さんの妻みどりさん(68)は「義父の優しさが墓の建設と毎年の法要につながった。両国の友好が深まれば」とほほ笑む。

 前田さんが撮影した整備前の墓や法要の写真を通公民館で展示している。同館Tel0837(28)0008。

(2016年11月16日朝刊掲載)

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