×

社説・コラム

『論』 「登戸」の秘史に学ぶ 論説副主幹・岩崎誠

科学と軍事に一線を画せ

 その戦争遺跡は川崎市の郊外の丘陵地にある。明治大が農学部や理工学部を置く生田キャンパス内の「登戸研究所」。今も保存される遺構の見学会に加わった。

 大戦中、日本陸軍が秘密兵器開発や謀略戦の備えを極秘裏に行う一大拠点だった。最盛期は総勢で千人に及び、当時の研究棟は6年前から大学が運営する平和教育の資料館に生まれ変わっている。

 案内役は明治大非常勤講師を務める渡辺賢二さん(73)。高校教員時代の約30年前から生徒たちや市民有志と調査に取り組んできた。元所員らの証言を掘り起こし、証拠隠滅で「ない」とされてきた資料を人づてに捜して極秘研究の全貌を解き明かした成果は資料館の充実した展示に生かされた。

 内容には驚くばかりだ。米軍に制空権を握られる中、米本土に打撃を与えようとしたのが知る人ぞ知る風船爆弾である。和紙をコンニャクのりでつなぐ兵器はジェット気流に乗って米国で犠牲者も出した。もう一つ象徴的なのがこの地で刷りに刷った中国の偽札だろう。研究所として最大の「製品」であり、相手の経済を大混乱させた謀略の切り札だった。

 さらに資料館となった建物で生物化学兵器の開発が行われた事実も重い。「その部屋の一番奥で、2トンの細菌兵器を用意した」とリアルな説明を聞いた。戦闘における使用を目的とした大久野島(竹原市)の毒ガス工場とは異なり、暗殺も含む謀略に使う毒物や細菌に専ら力を注いでいたという。

 「最初は嫌だったが慣れると趣味になった」。自ら開発した毒物の人体実験を中国で行った元研究者の証言も残る。手段を選ばず、良心が次第に失われていく戦争の本質を物語っていよう。

 渡辺さんの長年の問題意識も、そこにある。国家が戦争に科学を動員すれば何が起きるのか―。

 戦時下の名簿がある。登戸研究所は他の研究所の何倍もの予算が前払いされ、豊富な人材が投入された。報酬も良かった。大学を出た優秀な若手が技術将校に採用されたほか、兵器と関係なさそうな分野でも官民の研究機関から嘱託として加わった。風船爆弾の実用化には欠かせない気象もそうだ。戦争遂行が最優先であり、物資も資金も乏しい時代でも「何でもできる」恵まれた研究環境に、彼らは飛びついたのかもしれない。

 そんな登戸の歴史は完全に過去のものと言い切れるだろうか。

 現代日本の科学界が大きな問題に直面している。安倍政権が進める「軍学共同」路線とどう向き合うかだ。「戦争を目的とする科学の研究は絶対に行わない」。敗戦の教訓から日本学術会議が戦後、2度にわたり出した声明は見直しも含めた議論が始まっている。

 防衛省が昨年度創設した制度も波紋を広げる。防衛装備品への応用を念頭に基礎分野の研究費を公募で配分するものだ。来年度は初年度の36倍、110億円を充てる運びらしい。「防衛への応用は強いない。成果の公開もできる」ととの説明だが、先々はどうか。

 世界的には1990年代からデュアルユース(軍民両用)という言葉が定着してきた。確かに科学技術では軍事と民生利用の境目はあいまいだ。その中で日本の大学は国の交付金削減などで基礎研究へのしわ寄せが著しい。潤沢な研究費に引かれ、知らず知らず海の向こうで戦争に使われていく可能性は否定できまい。安全保障関連法が実行に移され、武器輸出や他国との共同開発の流れが加速する現状を考えると、なおさらだ。

 戦争が科学を発展させるという極論がある。登戸研究所でも日本の復興に生かされた技術はある。精巧な偽札を作る印刷の技は戦後の業界に寄与したという。だからといって正しいことをしたと当事者が胸を張ったわけではない。

 明治大が資料館開設に踏み切ったのは、苦悩を胸に秘めて戦後を生きた元所員たちの要請がきっかけだという。科学は平和に役立てるものであり、戦争に動員される科学者を再び生んではならない。自分たちが証言するから若い世代に伝えてほしい、と。大半が鬼籍に入った彼らの思いを今こそくみ取りたい。平和国家日本では科学と軍事に一線を画すべきだ。

(2016年11月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ