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連載・特集

緑地帯 記憶のケア 川本隆史 <3>

 「記憶のケア」という着想をさらに展開する好機が到来した。広島市立大広島平和研究所が主催する国際シンポジウム「エノラ・ゲイの閃光(せんこう)―戦争と破壊の象徴」(2004年7月31日)にお招きいただいたのである。同研究所におられた田中利幸さんが司会を務め、米国の歴史学者2人、オーストラリアの哲学者1人と私の計4人が発題と意見交換を行った。

 前年の03年、米スミソニアン航空宇宙博物館が原爆投下機の永久展示を始めたことが、シンポを開く背景を成している。そこで私は「記憶のケアと記憶の共有―エノラ・ゲイ展示論争をめぐって」と題する報告を担当した。

 戦後50年目の1995年をにらんで同博物館が企画した原爆展は、米国内の猛反発によって実質的な中止を余儀なくされた。そこで浮き彫りになったのが、原爆を巡る日米両国の固定観念、「原爆神話」の食い違いであった。「原爆投下は戦争の終結を早め、人命の被害を減らしたのであり、正当化されるべきだ」とする戦勝国の米国と、凄惨(せいさん)、甚大な原爆被害を歴史の文脈から切り離された「天災」のように受け取り、アジアへの加害の前史を忘却しがちであった敗戦国の日本。両者の齟齬(そご)を、「記憶のケア」を介して丹念に解きほぐしていくことで、両国が「記憶を共有する」理路を切り開いていけるのではなかろうか。私はそうした見通しを述べた。

 「記憶のケア」を見出しに掲げるシンポの取材記事が04年8月18日の中国新聞朝刊に掲載され、この用語が広範な人々の目に触れたのもありがたかった。(国際基督教大教授=東京都)

(2016年11月19日朝刊掲載)

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