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社説・コラム

『潮流』 大高正人の「遺産」

■論説主幹・佐田尾信作

 35年も前になる。独身寮住まいをしていたころ、近くに広島市営基町高層アパートがあった。その商店街で布団を買い、大衆食堂で腹ごしらえする。時には記事の題材に困って庭のある屋上に上り、おずおずと住民に声を掛けた。どの人も構えずに接してくれたことを思い出す。

 この秋、基町アパートを設計した建築家、故大高正人の回顧展を東京・湯島の国立近現代建築資料館で見る機会があった。館内中央には見慣れた「く」の字に配置されたアパート群の模型を据え、大きな外観写真が掲げられる。横浜・みなとみらい21などの設計で知られる大高だが、1968年から10年を費やした広島の仕事の占める重みを思った。

 「8・1ヘクタールに3千戸という重荷に、私は押しつぶされそうだ」

 資料の中の、そんな一文に目が留まる。被爆後の復興途上で、応急住宅や河岸などに住み着いた人たちを受け入れる一大再開発。生身の人の日々の暮らしを少なからず変える。大高の覚悟がうかがい知れよう。

 基町アパートの1階部分はピロティという吹き抜けの技法による。高層建築と地域を分断させない設計思想があったのだろう。つましい路地裏にさえあったものが、今は富める街の中にも見当たらぬ―。そんな趣旨の大高の一文も見つけた。高度経済成長を経て、日本人が失ったコミュニティーを近代建築のどこかに残そうという気概を見て取れる。

 回顧展に併せて地元の基町小でシンポジウムも開かれ、専門家が「今の基町は最も影の薄い時代では」と口火を切った。文字通り、近世広島の開基の地でありながら、ドーナツ化の波をまともに受けている。

 とはいえ、建築やデザインが専攻と思われる学生が多数、詰め掛けていたのは心強い。大高の遺産を通じて、この街の将来像を考える「元年」にしたいものだと思った。

(2016年11月19日朝刊掲載)

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