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戦争証言者育てよう 防府の青木さん 140人の会設立 小中校で講演・学習会計画

 防府市桑南の青木岩夫さん(84)が「戦争体験語り部会」を設立した。戦争の悲惨さと平和の尊さを語り継ぐ人材を育てようと、個人で始めた証言活動を続けていくため幅広い参加を呼び掛けた。傘寿を越えての挑戦に、「人生最後の仕事として取り組みたい」と話す。(宮野史康)

 賛同して会員になったのは、防府市民を中心に市連合遺族会会長や元小学校長たち約140人。小中学校で証言したり、一般向けの平和学習で講演したりする活動を年6回程度予定している。会員の学習を兼ねて広島市中区の原爆資料館の訪問も計画している。

 青木さんは2男3女の長男として1932年、防府市沿岸部に生まれた。戦争は「惨めで貧しい記憶」として刻まれた。防府を襲った記録的な台風で家が全壊した翌年の43年、父は戦地のフィリピンへ赴いた。三女は当時生後3カ月。「母を助けてやって」との言葉が父との別れとなった。

 戦況が悪化し、校庭でサツマイモやカボチャを育てたり、飛行機の燃料作りに学徒動員されたり。国民学校高等科2年だった45年、陸軍の少年航空兵に合格。9月の入隊を前に終戦を迎えた。「特攻兵になっていれば命はなかったはず」と振り返る。

 「日本こそアジアの救世主だ」と、当時は疑わなかった。侵略の実態が明らかになった戦後、なぜ父を亡くし、苦しさに耐えなければいけなかったのかと、戦争反対の感情が湧き起こったという。

 国鉄職員を経て、防府市議を7期28年務めた。戦後70年の昨年に旭日小綬章を受け、恩返しを考えた。集団的自衛権の行使容認や自衛隊の任務拡大のニュースに触れる日々。「70年前の道を通らないため、教育が必要」との思いから昨年11月、証言活動を始めた。

 小学校などで体験を語ると、知人から「良い活動だから個人ではなく、組織でやったらどうか」と提案された。活動継続のためにと準備して、ことし10月30日に設立総会を開いた。

 「平和という言葉自体が左寄りだとしてタブーになりつつある」と感じる青木さん。「人殺しの戦争は嫌だという思いに右も左もない。一生懸命に語り継ぐことで、多くの人に気持ちが伝われば」と話している。

(2016年11月21日朝刊掲載)

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