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連載・特集

緑地帯 記憶のケア 川本隆史 <4>

 2008年4月、共に生きることを倫理学的に掘り下げた「共生から」を岩波書店から上梓(じょうし)した。同年6月22日、東琢磨さんや上村崇さんら広島の友人が、ひろしま女性学研究所(広島市中区)で同書の合評会を開いてくれた。

 これが機縁となって、「記憶のケア」を目指す私の模索に活路が開けてくる。著者としてのリポートを準備する段階で、ヒロシマの体験と表現をめぐる二人の詩人(石原吉郎と栗原貞子)の軋轢(あつれき)を知らされたからである。

 シベリアの強制収容所から生還した石原は1972年の論考「アイヒマンの告発」で、「私は広島について、どのような発言をする意志ももたない」と言い切り、さらに「一瞬にして多くの命を奪った原爆…」といった決まり文句に潜む「計量的発想」をえぐり出し、そこから脱却せずに広島を「数において」告発する人々は「広島に原爆を投下した人とまさに同罪である」と断じていた。

 石原のこうした告発に応えようと、被爆詩人の栗原は83年に「知って下さい、ヒロシマを」を発表する。「一人の死を無視するが故に/数を告発するヒロシマを/にくむ という 詩人Yよ」と始まるこの詩は、ヒロシマ、ナガサキの死者には「強制連行された朝鮮人」「中国人の捕虜」「東南アジアの留学生も」含まれていたと指摘し、「広島の大量虐殺は一人一人の死を死ねないで、数としてしか死ねなかった悲惨である」との註記(ちゅうき)が付されていた。

 二人のやりとりから何をどう受け止めたらよいのか―。合評会で私はそう問い掛けた。(国際基督教大教授=東京都)

(2016年11月22日朝刊掲載)

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