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連載・特集

緑地帯 記憶のケア 川本隆史 <8>

 「記憶のケア」への歩みをたどった連載の締めくくりは、母校・己斐小(広島市西区)の大先輩、森重昭さん(1937年生まれ)に飾ってもらわねばなるまい。5月27日、広島を訪問したオバマ米大統領との抱擁シーンで「時の人」となった、あの森さんである。

 森さんは小学3年生の時、登校中に原爆に襲われ、救護所となった母校へ避難する。校庭で死者を焼却する光景を深く心に刻んだ森さんは、40歳を前にして火葬された死者の数を調べ始めた。公式の集計値を残すことなく校庭で焼かれた人々に関する複数の「記憶」を照らし合わせて、2300人という数にたどり着く。

 地道な調査の中で、何人かの米兵捕虜が爆心地近くで被爆していた事実にも森さんは引きつけられる。「原爆の犠牲者に国籍は関係ない」という脱中心化された直観を支えに、数十年かけて被爆死した米兵12人の全容を解明した。

 米国の遺族を捜し出し、当人の記録を伝えるにとどまらず、米兵たちを慰霊するプレートを自前で作成し、彼らが収容されていた中国憲兵隊司令部の跡地に立つビルに設置する(98年7月29日)。そして遺族から個別に了解を得た上で、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(中区)に名前と遺影が登録されるよう取り計らった。

 森さんの「記憶のケア」は、犠牲者の人数の確定から発して、一人一人の名前を呼び、悼むところにまで深化を遂げたのである。先輩のたゆまぬ努力を範として、私も「記憶のケア」という手仕事の末端を担っていこうと思う。(国際基督教大教授=東京都)=おわり

(2016年11月26日朝刊掲載)

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