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「被爆者気遣う人だった」 カストロ前議長死去 広島 悲しみ広がる

 25日死去したキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は2003年3月、本人の強い希望で被爆地広島を訪れ、原爆資料館(広島市中区)を見学していた。核兵器廃絶に関心を寄せ続けたカストロ氏。訃報が伝わった26日、被爆者は「人間思いの指導者だった」「発信力のある人物だけに残念」とその死を悼んだ。

 当時、原爆資料館を案内した元館長の畑口実さん(70)=廿日市市=は、カストロ氏に「生き残った被爆者は今どんな暮らしをしているのか」と尋ねられた。畑口さんが母親の胎内で被爆したことを説明すると「お母さんは元気か、と聞いてきた。各国の指導者を案内したが、そんなことを言ったのは彼だけだった」。

 また、被爆死した父の遺品の懐中時計とベルトのバックルを見せると、突然抱き締められたという。「革命家の激しいイメージが強いが、本当は争いを好まない人間思いの指導者だった」としのんだ。

 カストロ氏はキューバ国内の演説などで核兵器の脅威を訴えてきた。ことし5月、現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏の演説には「何十万もの広島の人々を殺害したことへの謝罪がなかった」と批判した。

 被爆者団体からも惜しむ声が上がった。広島県被団協(坪井直理事長)の箕牧(みまき)智之副理事長(74)は「世界へ発信力のある人物だけに死去したことは非常に残念。新たな指導者にも被爆地を訪れてほしい」と望んだ。

 もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(72)は核戦争寸前まで行った1962年のキューバ・ミサイル危機に触れ「核兵器をなくさなければとの思いが強かったのだろう。彼の遺志を引き継いでいきたい」と決意を新たにした。(村上和生、和多正憲、根石大輔)

(2016年11月27日朝刊掲載)

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