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連載・特集

世界遺産登録20年 次世代へどう継承 原爆ドーム/厳島神社

 世界遺産に同時登録が決まり、6日で20年の節目を迎える原爆ドーム(広島市中区)と厳島神社(廿日市市宮島町)。この間、外国人を含めて訪問者が増えた一方、保存や景観維持、文化・歴史の継承といった課題が山積する。直線で15キロほどの近距離にある二つの世界遺産。次代に引き継ぐための取り組みが問われる。

増える外国人来訪 観光に同行

社殿に寄り添う島の営みから、日本が見える

 原爆ドームと宮島の厳島神社では、海外からの訪問客が年々増えている。二つの世界遺産を巡った外国人旅行客に同行取材した。(文・山瀬隆弘、渡辺裕明、写真・宮原滋)

 晴れ渡った11月下旬の午前9時半ごろ。6週間の予定で日本を巡っているフランス人のマルク・クプレさん(55)が、宮島と対岸の宮島口を結ぶフェリーに乗り込んだ。案内するのは、来日5年になるフランス人写真家のヤン・ムニエさん(42)=広島市佐伯区。2人は船上から大鳥居にカメラを向けた。「海の青、社殿の朱色、そして背後の弥山の緑。とても美しい」。マルクさんは感嘆した。

 宮島に着くとヤンさんは、狭い平地に軒を連ねて暮らす住民の営みの紹介に時間を割いた。マルクさんは小道の奥を進み、江戸後期に掘られたとされる井戸で水をくんだり、寄り添うように林立する古民家群を小高い丘から眺めたり。厳島神社では「回廊の床板に隙間を空けて波のエネルギーを弱めている」との説明に聞き入った。

 島で3軒だけの鮮魚店も訪れ、店主とも言葉を交わした。「外国人は日本人の本当の生活実態を見たがっている。インターネットで調べて分かる内容では満足できない」とヤンさん。店を営む中村与さん(70)は「いつも来てくれる。私たちがあまり興味を抱かないことも外国人に伝えてくれている」と目を細めた。

鉄骨をさらす姿。71年前の悲劇が伝わってくる

 2人は午後2時に宮島を離れ、JRや路面電車を乗り継いで広島市中心部へ。広島名物のつけ麺を味わった後、袋町小(中区)を訪れた。被爆した前身の袋町国民学校西校舎の一部を改修した平和資料館に入ると、壁に記された被爆者や家族の伝言を前に居ずまいを正した。

 2階に上がる階段は、全国の小中学生や高校生が来館時に届けた折り鶴でいっぱい。折り鶴を並べて「平和」の2文字を描いた作品もある。「この日本語は私たちも知っている」。マルクさんは、平和を求める日本の子どもたちの願いに共感した。

 原爆ドームの前に立ったのは午後6時ごろ。鉄骨をさらし、無言で核兵器の悲惨さを訴える姿を見上げた。マルクさんは「海外にも古い建物は多くあるが、ここは悲劇が直接的に伝わってくる」と、世界で初めて核兵器が戦争に使用された71年前のあの日に思いをはせた。ヤンさんは「だから、原爆ドームは残されている」と相づちを打った。

 広島市出身の女性と出会って結婚し、広島に定住するヤンさん。写真家の仕事の傍ら、宮島や原爆ドームを訪れる欧米人のガイドもこなす。「歴史に詳しくなくても、そこに行けば、神社の美しさや原爆の悲惨さは伝わる」。二つの世界遺産には、世界中の人々を引き寄せる力があると確信している。

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細る担い手 知恵絞る時 旧宮島町教委次長・森本啓司さん

 宮島は、厳島神社の世界遺産登録後の20年間で、年間来島者が35%増えた。外国人に限ると6・7倍に上る。登録決定に際し、旧宮島町教委次長として、国や県と協議を重ねた森本啓司さん(68)は「世界遺産化には観光面で予想を超える効果があった」と振り返る。(聞き手は山瀬隆弘)

 これほど多くの外国人が宮島へ訪れるようになるとは、考えられなかった。厳島神社が登録に向けた暫定リストに入ったのは、日本が世界遺産条約を結んだ直後の1992年。まだ国内登録がなく、地元は世界遺産化の効果を測りかねた。年270万~280万人だった来島者が300万人になればと考える程度だったが、今や400万人を超えた。島で新たに商売を始める人も増えた。

 一方で島は、少子高齢化と人口減に直面している。景観の維持や文化の継承に支障が出ないか心配だ。

 商売人が年を取って事業をやめ、店を島外の人に貸すケースが増えている。周囲の景観にそぐわない看板を出すなど、住民が守ってきたルールに反した外観になったと感じる事例もある。景観維持や自然保護のための規制が伝えられていないのだろうか。世界遺産の島の風景を壊さないためには貸主や市教委の適切な説明や指導が欠かせない。

 若い人や子どもの減少は、神社の祭事などにも影響する。例えば、大みそか恒例の鎮火祭は大たいまつを若者が担ぎ、子どもも作製に携わる。こうした文化を次世代に継ぐために何ができるのか。知恵を絞る時期を迎えている。江戸期に島に伝わった宮島彫やろくろ細工、杓子(しゃくし)も守りたい。

 さまざまな調査で、外国人の宮島に対する評価は高い。島の文化や自然を認めてくれて、うれしい。ただ、就職などで若い人が島の外へ出る中、私たちの世代がいなくなったら、島はどうなるのだろうか。不安も尽きない。

もりもと・けいじ
 1948年、旧宮島町生まれ。広島経済大卒。72年に町職員となり、町教委次長や合併後の廿日市市教委宮島分室長、宮島水族館長などを歴任して2009年退職。同年から宮島細工協同組合事務局長。島外に通った高校、大学時代を含め、宮島に住み続けている。

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厳島神社
 創建は593年と伝えられ、海上社殿の原型は12世紀に平清盛が築いたとされている。国天然記念物の弥山原始林を含む背後の森林区域などとともに世界文化遺産に登録された。登録区域は431.2ヘクタールで宮島全体の14%を占め、島の残る部分はバファーソーン(緩衝地帯)となった。神社建造物のうち本社本殿など6棟が国宝、大鳥居など11棟・3基が国重要文化財に指定されている。

世界遺産
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産条約に基づき、人類共有の財産として保存を図る歴史的な建物や遺跡、自然などを登録している。原爆ドームや厳島神社などの文化遺産は814件、屋久島(鹿児島県)などの自然遺産は203件、両方の要素を持つ複合遺産は35件ある。新たな登録は、年1回ある世界遺産委員会で審議して決める。

平和と観光 整合性を 元原爆資料館長・原田浩さん

 物言わぬ証人として「あの日」の惨状を伝える原爆ドーム。広島市を訪れる外国人観光客は100万人を超え、その多くが「負の遺産」を見上げる。原爆資料館長を務め、世界遺産登録に関わった被爆者の原田浩さん(77)は「世界遺産化は発信力をより強めた」と話す。(聞き手は渡辺裕明)

 ドームは核兵器を廃絶し、平和を実現するためのシンボルとして登録された。他の遺産にはない、多くの人に核兵器による悲惨な状況を伝えるという役割がある。登録後、そのメッセージを世界に対して、発信しやすくなった。観光客が増えた要因と言える。

 (投下に至る歴史的視点が欠落する恐れがあるとして)登録に反対した米国からの来訪者が最も多い。きのこ雲の下で起きた事実を知ろうとする人が増えているのではないか。5月のオバマ大統領の訪問は、資料館滞在が短く、納得できる内容ではなかった。ただ、さらに来訪者を呼び込むきっかけにはなる。自分が考えていたのとは全く違う状況が広島で起こったと、来て見て初めて分かる。各国からの広島訪問を大いに歓迎すべきだと思う。

 行政は、今まで以上に建物が持つ意味を来訪者に受け止めてもらえるような施策を展開する必要がある。例えば、資料館本館の敷地から出土した被爆前の遺構の保存・公開だ。被爆者の高齢化でドームについて語れる人は少ない。あの瞬間に消えた町並みを多くの人に直接見てもらえば、ドームの訴求力は増す。「被爆体験」を行政自ら風化させるようなことがあってはならない。

 広島で平和と観光は切り離せない。ただ、ビジネスや単なるイベントではない、被爆地の思いと整合がとれる連携策を模索し続ける必要がある。市民が来訪者を温かくもてなすのも、平和につながるだろう。

はらだ・ひろし
 1939年、広島市南区生まれ。6歳の時に爆心地から2キロの広島駅で被爆した。早稲田大を卒業し、63年に広島市職員。93年4月~97年3月に原爆資料館長を務め、市文化財団理事長などを歴任。現在は被爆体験の証言や平和行政に関する講演をしている。

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原爆ドーム
 1915年に広島県物産陳列館として完成した。れんが造り3階建て、ドーム状の中央部は5階建て。爆心地から160メートルに位置し、被爆時に館内にいた全員が即死したとされる。人数は「30人ばかり」(広島原爆戦災誌)というが正確な数は不明。53年に県から市へ譲与された。世界遺産に登録され、景観維持のため平和記念公園周辺の42.7ヘクタールをバファーゾーン(緩衝地帯)に設定している。

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外国人客向けに力 入場料割引や案内アプリ

大田・石見銀山遺跡/萩・産業革命遺産

 原爆ドームと厳島神社に続いて登録された中国地方のもう二つの世界遺産の地元も、外国人観光客の呼び込みを進めている。

 2017年7月で世界遺産登録10年を迎える石見銀山遺跡(大田市)。市は09年4月に、石見銀山世界遺産センターなど市有4施設で外国人向けに入場料の割引を始めた。利用は09年は904人だったが、15年は2805人で約3倍に。16年4月から民間2施設にも広がった。市は順次、英語など三つの外国語による案内表示などを進め、環境整備に力を入れる。

 15年7月に登録された、8県11市23施設からなる「明治日本の産業革命遺産」のうち、萩市には松下村塾や萩反射炉など5施設がある。市は今春、それぞれに無線LANを設置。日本語のほか3言語対応のタブレット端末を無料で貸し出す。5月には文字や動画で5施設を紹介するスマートフォン向けのアプリを日英両語で公開した。

 市観光課によると、市内の15年の外国人宿泊者数は6041人で前年から約1.5倍増。担当者は「外国人旅行に関する問い合わせは相次いでいる」と今後の伸びに期待する。

(2016年12月1日朝刊掲載)

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