湯崎広島県政 2期目残り1年 平和推進 国際拠点へ試行錯誤 市と分担も課題
16年12月6日
広島県の湯崎英彦知事は2期目の任期満了(2017年11月28日)まで1年を切った。行政運営に成果主義を取り込み、産業振興にファンドなどの手法を導入。中高一貫のグローバルリーダー育成校の開校準備を進め、人口減対策や平和推進にも力を入れている。成果を検証し、残り1年の課題を探る。
「ビジネスを通じた平和の実現は会社のためでもあり、世界のためでもある」。集まった国内外の経済人を前に、広島県の湯崎英彦知事が語り掛けた。広島市中区で10月中旬にあった「国際平和のための世界経済人会議」。約320人が、企業活動と平和貢献の在り方などを議論した。
ビジネスと平和。接点が見えにくい両者をあえて絡めたところに、県の狙いはある。目指すのは、平和に関する新しい考え方を発信する場として、広島が存在感を発揮していくこと。地方創生に関する国の交付金を活用した開催費約5千万円の多くは、世界的に有名な米国のマーケティング学者フィリップ・コトラー氏たち登壇者約60人を招く費用に充てられた。
低い注目度
ところが、会議終了後の湯崎知事とコトラー氏の共同記者会見を取材した報道機関は3社だけ。県民の注目度が高かったとはいえない。湯崎知事も「結果を次に発信していくという意味で、どういうことができるか考えないといけない」と課題を口にした。
県の平和推進施策は2011年に公表した「国際平和拠点ひろしま構想」に基づく。世界各国の核軍縮などの取り組みを採点する「ひろしまレポート」や、有識者が東アジアの核軍縮の道筋を考える「ひろしまラウンドテーブル」は構想を具体化したものだ。いずれも湯崎知事の1期目最終年の13年に始まり、今年で4回目を迎えた。平和団体からは「最初は唐突感があったが、継続によって洗練されてきた」などと評価する声が目立つ。
一方で、拠点性を高めるための「センター機能」の具体化は、まだ方向性が見えない。平和に関する人材や知識・情報、資金などの集積を目指すが、県の平和推進プロジェクト・チームは「専門家の意見を個別に聞いて回っている段階」と現状を説明する。
重なる活動
被爆地の自治体として、広島市との役割分担を整理できていない部分もある。
湯崎知事は、14年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第3回準備委員会と翌15年の同会議に合わせて米国出張し、開催場所の国連本部(ニューヨーク)などを訪問。国連幹部や各国政府代表たちと会い、広島訪問の重要性を強調するなどした。
その活動は、同じ時期に現地を訪ねた広島市の松井一実市長と重なる。「迎える平和」を掲げる松井市長も要人と面会し、訪問を呼び掛けた。市関係者からは「訪問要請は、市がずっと続けてきた活動。同じ場所に2人の首長がいる意味がどれほどあるのか」との声も漏れる。県平和推進プロジェクト・チームも「活動がダブっている部分はある」と認める。
核兵器のない世界に向けて、県こそが担うべき役割とは何か。外務省出身の広島平和文化センター(中区)の小溝泰義理事長は「市には被爆者の思いに基づいて行動する強みがあるが、逆に自由な発想はしにくい。県には国際政治の現実も見据え、新たな発想で廃絶の道筋を提案してほしい」と期待を込める。
就任当初から「被爆地からの発信」に強い思い入れを示してきた湯崎知事。さまざまな試みを積み重ねた7年を経て、その真価が問われる。(藤村潤平)
(2016年12月6日朝刊掲載)
「ビジネスを通じた平和の実現は会社のためでもあり、世界のためでもある」。集まった国内外の経済人を前に、広島県の湯崎英彦知事が語り掛けた。広島市中区で10月中旬にあった「国際平和のための世界経済人会議」。約320人が、企業活動と平和貢献の在り方などを議論した。
ビジネスと平和。接点が見えにくい両者をあえて絡めたところに、県の狙いはある。目指すのは、平和に関する新しい考え方を発信する場として、広島が存在感を発揮していくこと。地方創生に関する国の交付金を活用した開催費約5千万円の多くは、世界的に有名な米国のマーケティング学者フィリップ・コトラー氏たち登壇者約60人を招く費用に充てられた。
低い注目度
ところが、会議終了後の湯崎知事とコトラー氏の共同記者会見を取材した報道機関は3社だけ。県民の注目度が高かったとはいえない。湯崎知事も「結果を次に発信していくという意味で、どういうことができるか考えないといけない」と課題を口にした。
県の平和推進施策は2011年に公表した「国際平和拠点ひろしま構想」に基づく。世界各国の核軍縮などの取り組みを採点する「ひろしまレポート」や、有識者が東アジアの核軍縮の道筋を考える「ひろしまラウンドテーブル」は構想を具体化したものだ。いずれも湯崎知事の1期目最終年の13年に始まり、今年で4回目を迎えた。平和団体からは「最初は唐突感があったが、継続によって洗練されてきた」などと評価する声が目立つ。
一方で、拠点性を高めるための「センター機能」の具体化は、まだ方向性が見えない。平和に関する人材や知識・情報、資金などの集積を目指すが、県の平和推進プロジェクト・チームは「専門家の意見を個別に聞いて回っている段階」と現状を説明する。
重なる活動
被爆地の自治体として、広島市との役割分担を整理できていない部分もある。
湯崎知事は、14年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第3回準備委員会と翌15年の同会議に合わせて米国出張し、開催場所の国連本部(ニューヨーク)などを訪問。国連幹部や各国政府代表たちと会い、広島訪問の重要性を強調するなどした。
その活動は、同じ時期に現地を訪ねた広島市の松井一実市長と重なる。「迎える平和」を掲げる松井市長も要人と面会し、訪問を呼び掛けた。市関係者からは「訪問要請は、市がずっと続けてきた活動。同じ場所に2人の首長がいる意味がどれほどあるのか」との声も漏れる。県平和推進プロジェクト・チームも「活動がダブっている部分はある」と認める。
核兵器のない世界に向けて、県こそが担うべき役割とは何か。外務省出身の広島平和文化センター(中区)の小溝泰義理事長は「市には被爆者の思いに基づいて行動する強みがあるが、逆に自由な発想はしにくい。県には国際政治の現実も見据え、新たな発想で廃絶の道筋を提案してほしい」と期待を込める。
就任当初から「被爆地からの発信」に強い思い入れを示してきた湯崎知事。さまざまな試みを積み重ねた7年を経て、その真価が問われる。(藤村潤平)
(2016年12月6日朝刊掲載)