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社説・コラム

社説 首相 真珠湾訪問へ 真の意味で不戦を語れ

 安倍晋三首相が年内に米ハワイを訪問し、オバマ大統領と共に日米開戦の発端となった真珠湾で戦争犠牲者を慰霊する。オバマ氏が広島を訪れ、安倍氏が真珠湾を訪れることで日米の真の和解が達成される―。そうした見方もできようが、本当の意味で過去を直視していると胸を張れるのだろうか。

 戦後70年の節目だった昨年4月、首相は米議会で演説し、太平洋戦争への「悔悟」に立った上で「先の戦争に倒れた米国の人々の魂に深い一礼をささげます」と述べた。それから1年余りを経て、現職大統領の広島への訪問と演説が実現した。

 同じ年に、今度は日本の首相の真珠湾訪問が現実のものとなる。一連の流れは、首相のいう「和解の重要性」を発信し演出してきたように映る。  しかし自国の過ちを省みることは、歴史を踏まえた主体的な行いであるべきだ。後の世で、日本の首相の真珠湾訪問があたかも広島訪問の「返礼」であるかのように解釈されるとすれば、由々しきことである。

 首相は米議会演説で太平洋戦争に伴う米国民、とりわけ未来ある若者の多大な犠牲に触れ、哀悼の意を示している。さらに真珠湾では、国際社会から孤立した末に、当時の日本が無謀な対米戦争に踏み切ったことへの反省に踏み込むべきだろう。

 首相の戦後70年談話を思い起こしたい。間接的な表現ながら1910年の韓国併合に始まった植民地支配から「永遠に決別する」と誓った。満州事変に言及して「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」としている。

 さらに「子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とも述べた意味は重い。仮に太平洋戦争開戦の地で戦争責任を曖昧にした言説に終始するようなら、かえって日本の孫子の世代に問題を先送りすることになりはしないか。反省の上に立った慰霊であるべきだ。

 大統領の広島訪問と首相の真珠湾訪問が、日米和解や「日米同盟の強化」といった文脈ばかりで語られることには違和感を拭えない。被爆地としては、なおさらだ。あまたの市民が住む広島、長崎を警告もなく核攻撃したことは人道上許されざる行為だと私たちは主張してきた。真珠湾と広島・長崎が同等に扱われ、核攻撃の非人道性が覆い隠されないか、憂慮する。

 大統領も広島では謝罪しなかった。しかし広島と長崎を「道徳的な目覚めの始まりの地」と表現し、自国の過去の非人道的な行いを肯定することもなかった。核廃絶への道筋をどのように指し示し、実行に移すのか。米新政権の核政策の先行きは不透明だが、大統領として発した言葉は決して消えない。

 首相は「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」という決意を真珠湾で示すという。しかし、そのために日米の軍事協力を強化するのでは、真の意味の不戦を語ることになるまい。真珠湾で発するメッセージが、先の戦争で多大な犠牲を強いたアジア諸国の国民の琴線に触れるものであってほしい。

 あす日米開戦から75年。日本の首脳の真珠湾訪問という歴史的な節目を、首相はもっと重く受け止めるべきだろう。

(2016年12月7日朝刊掲載)

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