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被爆建物 「旧陸軍被服支廠」 決まらぬ活用策

■記者 武内宏介

 被爆建物「旧広島陸軍被服支廠(ししょう)」(広島市南区出汐)の活用計画が、宙に浮いたままだ。運送会社が倉庫利用をやめてすでに13年。具体的な構想も浮上したが、県は財政難を理由に凍結し、保存工事も施されない状態が続いている。

 国道2号の南約250メートルの住宅街にある。赤れんがの外壁が印象的な鉄筋3階建てが、4棟ほどL字形に並ぶ。窓の鉄扉はさびつき、屋根の一部から木や草が伸びるなど傷みが目立つ。3棟は県、1棟は国が所有し、管理は全棟県が担当している。延べ床面積は計約2万1700平方メートル。

 現状について県財産管理課は「活用策がなく、台風対策などの最低限の管理にとどめている」と説明する。一方で、県外の修学旅行生たちが平和学習で訪れる場でもあり、住民の間には「しっかり保存、活用をすべきだ」との声も出ている。

 運送会社が1995年に倉庫としての利用を中止。97年に「瀬戸内海文化博物館構想」が浮上したが、耐震改修費試算が約150億円に上るため凍結された。現状は「当時より財政悪化し、推進は見込めない」(県財産管理課)状態。ロシアのエルミタージュ美術館分館の候補地の一つにもなったが、分館設置の構想自体の採算が見込めず頓挫した。

 県はいま、未利用の土地・建物売却を推進している。本年度は19件で計約6億6900万円(10月末)を売却した。旧陸軍被服支廠については「被爆建物。博物館構想はあくまで休止中で、未利用とは言えない」と対象から外している。

 一方で、「活用の妙案がない」として、現在は一時利用の検討やアイデアの公募などの積極的な取り組みをしていない。

 被爆建物調査を続ける都市計画プランナー山下和也さん(51)=南区=は「鉄扉の落下が心配だ。財政難は分かるが、文化財登録をするとか、もっと保存活用に知恵を絞ってほしい」と指摘している。

旧広島陸軍被服支廠
 1913(大正2)年完成。爆心地から2・7キロにあり、臨時救護所として使われた。爆風でめくれた鉄扉が残る。戦後は広島大教育学部、学生寮、運送会社の倉庫などに使われた。日本近代建築初期の鉄筋コンクリートと赤れんがの混合建物としても貴重とされる。

(2008年11月11日朝刊掲載)

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