×

社説・コラム

ズームやまぐち 日本海 ロシア兵救助の記憶 日露首脳会談の長門周辺、墓や石碑 

地元住民「友好深めたい」

 15日に日ロ首脳会談がある長門市には、日露戦争の日本海海戦で亡くなったロシア兵の墓があり、山口県と市はプーチン大統領の視察を要望している。県内の日本海沿岸にはこれ以外にも、漂着したロシア兵を救助したり、埋葬したりした記録が残る。日露戦争で日本の勝利を決定づけた111年前の出来事の痕跡を、各地で探った。(村田拓也、原未緒)

 萩市須佐地区の日本海を望む高台に、高さ4・1メートルの石碑がそびえる。1905年の日本海海戦で敗れたロシア兵33人を救護したと伝わる法隆寺で、海戦の7年後に建てられた。

■村民を説得

 須佐公民館長の吉田満さん(61)=萩市須佐=によると、33人はロシアのバルチック艦隊の巡洋艦「オウローラ号」の乗組員だった。当時の須佐村の村長たちが「救いを求めて助けを請う者に不都合があっては、将来、物笑いの種を残す」と、興奮する村民を説得したという。

 村民はワカメ入りのおにぎりやお茶を用意して看護し、全員を門司の収容所へ引き渡した。吉田さんは「将校がお礼として双眼鏡1個を残したとの記録もある。会談をきっかけに、かつての交流を知ってほしい」と願う。

 安倍晋三首相(衆院山口4区)とプーチン氏が会談する長門市。市北部の通(かよい)地区の海岸には、日本人とロシア人の兵士の墓が日本海に向かって並ぶ。

 日本人兵士は1904年、中国への途上で撃沈された大型貨客船「常陸丸(ひたちまる)」に乗っていた。ロシア人兵士は日本海海戦で戦死し、漂着した。会談決定後に訪れる人が増え、地域住民でつくる協議会が墓までの道を整備した。

 会談がある今月15日には、安倍首相の妻昭恵さん(54)が訪問する。協議会の新谷勇会長(72)は「プーチン氏が来るのは難しいかもしれないが、来訪者に100年以上前からの縁を伝えて、友好を深めたい」と意気込む。

■互助の精神

 下関市豊北町阿川浦の墓地にも、日本海海戦で漂着したロシア兵士の墓が立つ。高さ約60センチの石碑の周りに墓石代わりの石が並ぶ。墓地内には「常陸丸」などに乗った日本人兵士8人の墓もある。

 地区自治会の亀崎俊明会長(70)は「地域で守ってきた墓。会談を機にこれまで以上に大切にしたい」と語る。地区出身で神社本庁顧問の宮崎義敬さん(82)=美祢市西厚保町=は「敵味方にかかわらず弔うのは、武士道の精神だ」と評価する。

 萩市の萩博物館特別学芸員の一坂太郎さん(50)=近代史=は、日本海海戦の砲声が聞こえたとの記録が各地にあると指摘する。「日本海沿岸の住民には、海戦が相当、身近に感じられたはずだ。海に生きる人たちの『困っている人は助ける』という互助の精神が発揮された」とみている。

日露戦争
 1904~05年、朝鮮、満州(現中国東北部)の支配を巡り日本とロシアの間であった戦争。ロシアの満州占領政策に反発を強め、米英の支持を取り付けた日本は04年2月に宣戦布告。ロシアはフランスの支援を受けた。日本は旅順を攻略、日本海海戦に勝利し05年9月、両国は米国の仲介により米ポーツマスで講和条約を結んだ。日本は樺太(サハリン)の南半分の移譲などを認められたが、賠償金は得られなかった。列強のロシアと戦った日本が大国への道を歩むきっかけになった。

(2016年12月13日朝刊掲載)

年別アーカイブ