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連載・特集

真珠湾攻撃犠牲者の追悼式典に参加して

■コミュニティーラジオ局「FMちゅーピー」(広島市中区)制作部 堀部正拓

 日本軍が米国ハワイの真珠湾を攻撃して、ちょうど75年となる12月7日(日本時間8日未明)、真珠湾の米海軍施設で開かれた犠牲者を追悼する式典を、FMちゅーピーで中継するため取材した。式典会場近くにあるアリゾナ記念館のビジターセンターも訪れ、広島市中区の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんが作った折り鶴を見学し、日米の絆について考えた。

 式典は午前7時45分、日本軍の攻撃のため湾内で沈没した戦艦の上に建てられたアリゾナ記念館を眺められる湾内の埠頭(ふとう)にあるイベント会場で始まった。攻撃開始時刻の午前7時55分に合わせて、約4千人の出席者が黙とうをささげた。真珠湾攻撃を生き延びた米退役軍人も数十人が参加。全員高齢で、移動に車いすや歩行器を使っている人が大半という印象だった。

 12月下旬に安倍晋三首相が訪問することをどう思うか、真珠湾攻撃を生き延びた退役軍人数人に聞いてみた。全員が「訪問を歓迎する」「真珠湾攻撃の恨み(rancor)などもうない」と答えた。その一人、ドナルド・バーンハートさんは「安倍首相の真珠湾訪問のニュースは『イチバン(一番)』だ。素晴らしい決断だ。私は仙台や横須賀など、日本で何年も過ごした。真珠湾攻撃の恨みなど全くない。日本が好きだよ」と笑顔で話してくれた。

 ビジターセンターでは、2013年から佐々木禎子さんの折り鶴を常設展示している。オバマ大統領が卒業した地元の私立学校プナホウ学園の元日本語講師ピーターソンひろみさんは、広島市南区出身の被爆2世で、折り鶴の展示実現に尽力した。「ビジターセンターは昔、攻撃による被害のビデオを上映するなど『恨みの場』としての展示だった。かつて訪れた時に米国人の厳しい目線を感じ、『二度とここに来たくない』と思ったこともある。禎子さんの折り鶴が受け入れられたのは、その姿勢が『平和と融和の場』に変わったことを意味している」

 プナホウ学園の小中学校教師で牧師のローレン・メデイロスさんは「太平洋を舞台にした戦争で日米双方が多くの家族を失い、痛みを経験した。今回のような決断が、それを癒やす唯一の方法。安倍首相を多くの人が歓迎するだろう」と話していた。同学園では日本語授業の一環として、ビジターセンターで月に1度、学生が来場者に禎子さんのエピソードを語り、折り鶴の折り方を教えているという。

 ビジターセンターに展示されている禎子さんの折り鶴の近くには千羽鶴が飾られていた。「憎悪は過去、愛は未来」と書かれたカードが添えられ、地元の学校アイナ・ハイナ・スクールの生徒たちの名前が寄せ書きされていた。

 初めて訪問したハワイ。真珠湾が「恨みの場」から時の流れとともに大きく変わったことを肌で感じることができた。「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。その未来に向けた決意を示したい」という安倍首相は今月26、27日、オバマ大統領とともに真珠湾を訪れ、戦争犠牲者を慰霊する。その訪問を妨げるものはハワイにはない。歴史的な訪問の瞬間と、その先の安倍政権の行動を見守りたい。

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