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73ヵ国とEU代表 出席 8・6式典 英駐日大使が初参列

 広島市は17日、被爆67年となる8月6日の原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)の概要を発表した。海外から73カ国と欧州連合(EU)の代表が出席。昨年の66カ国を上回り、過去最多の74カ国だった2010年と同規模となりそうだ。

 市は152カ国に案内状を送った。73カ国中、駐日大使の出席は過去最多の46カ国となる見通し。核兵器を保有する五大国では英国の駐日大使が初めて参列。17日現在、米国など他の4カ国から返事が届いていない。ウズベキスタン、ベラルーシ、ルーマニアなど10カ国が初参加となる。

 国連から潘基文(バンキムン)事務総長の代理としてアンジェラ・ケイン軍縮担当上級代表が参列。野田佳彦首相は出席の方向で調整している。福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長が事故後、同県の自治体の首長として初めて出席する。

 式典は例年通り、中区の平和記念公園で午前8時から45分間。原爆が落とされた8時15分、遺族代表の会社員原戸勇二さん(42)=安佐北区・2面に横顔=と、こども代表の八幡小6年岸本聖来(せいら)さん(11)=佐伯区=が「平和の鐘」を突き、黙とう。松井一実市長が平和宣言を読み上げる。

 子どもが慰霊と継承の思いを訴える「平和への誓い」は、比治山小6年三保竜己君(11)=南区=と安北小6年遠藤真優さん(11)=安佐南区=が担当する。岸本さんは「どうしたら世界が平和になるかを考えて鐘を鳴らしたい」と抱負を話した。

 遺族代表は41都府県から参列する。最高齢は82歳、最年少は28歳。平均年齢は66・0歳となっている。(田中美千子)

この人 平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 原戸勇二さん

父の被爆 向き合いたい

 「核兵器のない世界を求めるたくさんの人の思いを背負って、鐘を鳴らしたい」。被爆67年の8月6日午前8時15分。広島市の平和記念式典で遺族を代表し、鐘を突く。亡き父への思いも込めて。

 父の敏幸さんは4月、81歳で亡くなった。67年前の8月6日、爆心から4・1キロの祇園町(現安佐南区)の軍需工場で被爆。当時14歳だった。その日の午後、爆心地付近へ救護活動に入った。

 父は被爆体験を多くは語らなかった。変わり果てた姿の知人を見つけては「遺族のために」と名前を書いた紙をポケットに入れた―。その話が強く印象に残っている。

 式典での大役を市から依頼されたのは、父が亡くなった数週間後。重責に何度も辞退したいと思った。

 それでも引き受けた。同じ軍需工場で働いていた父の元同僚を訪ね、被爆後の様子を聞いた。廊下の板をはいで遺体を運んだこと、たくさんの遺体が焼かれた火葬場の光景…。少しだけ父の「あの日」に近づけた気がした。

 祖父は原爆投下前、戦地ビルマ(現ミャンマー)で亡くなった。父は46歳の時、国の遺骨収集事業で遺族代表として現地に赴いた。

 父がミャンマーに向かった時と同じくらいの年齢になった。祖父の最期に触れようとした父の思いが、自らに重なる。「何かの縁でしょう。父の被爆体験と祖父の戦争体験にちゃんと向き合いたい」。安佐北区で母(68)と2人で暮らす。(加納亜弥)

(2012年7月18日朝刊掲載)

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