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カルテに託す 大久野の実像 遺志継ぎ長女出版

 竹原市の大久野島にあった旧日本軍毒ガス工場の工員や動員学徒たち277人の証言集が、23日に出版される。毒ガス患者の診療に生涯をささげた行武正刀医師(2009年3月死去、三原市)がカルテの余白に書き留めた文章を、出版の遺志を継いだ長女則子さん(44)=広島市東区=が約3年半かけて編集した。(広田恭祥)

 題は「一人ひとりの大久野島」。島を望む竹原市の忠海病院(現呉共済病院忠海分院)に40年余り勤めた行武医師が付けた。それぞれの証言がつなぎ合わさったとき、パズルの完成のように毒ガス島の実像が浮かぶ。

 行武医師は1962年、28歳で同病院に赴任。激しくせき込む患者の波に衝撃を受けた。69年から医師1人となり翌年、院長に。障害認定に欠かせない体験や心情を、カルテの余白に記し続けた。

 「化学兵器は核兵器と同じ」と廃絶を訴えた行武医師。引退後、08年春に肺がんが見つかる中、約4200人分のカルテのうち2千人余のメモを起こし、出版準備に身を削った。則子さんは08年秋、文章整理の手伝いを頼まれた。その後、病状が悪化。亡くなる直前まで病室で一緒に章立てをした。

 証言は生々しく、不安や恐れに満ちている。「このまま働くと危険だと感じた」(工員)「咳(せき)もひどくて夜眠れないほど」(会計倉庫掛)「何の皮膚病とも分からずこの小さな体で耐えた」(女性工員)「この世の生き地獄でした」(戦後処理の従業員)―。

 工場開設の29年ごろから終戦後までを16章に分類。徴用工員や女子挺身隊員、戦後処理に当たった民間人の証言、被爆体験も載せた。

 出版に向け、遺族も含め、それぞれに承諾を得る膨大な作業を乗り越えた。「重い話ばかりだけど、郷里の真実を残したかった」と則子さん。父がどれほど頼りにされ、感謝されているかをあらためて知った。「本になったのは皆さんの力。長く読み継いでほしい」

 工員の告白に突き動かされ、言葉を書き留め始めた行武医師。序文に「島の歴史は今も続いている」と記す。

 A5判、260ページ。2625円。ドメス出版Tel03(3811)5615。

(2012年7月18日朝刊掲載)

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