×

社説・コラム

『潮流』 「ポリコレ」と相撲

■論説委員・平井敦子

 今週はトランプ米大統領の振る舞いに目を白黒させられる一方、祝福ムードが列島を覆った。稀勢の里関の横綱昇進の喜びに沸く。

 苦労人がやっと咲かせた花である。中学卒業後にすぐ入門した、たたき上げ。大関になって5年、足踏みを重ねたが腐らなかった。その無口な努力家はきのう、見事な土俵入りを披露した。

 「初優勝で横綱とは甘い」との声もあるにせよ、本人への賛辞もあふれる。ただ同時に、日本出身の力士として19年ぶりの横綱誕生を喜ぶ声はやはり強い。もし誕生した横綱がモンゴル出身だったら、列島はこれほど沸いただろうか。草原の国の力士からすると、アメリカ・ファーストならぬジャパン・ファーストの空気を感じたかもしれない。

 最近はやりの「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が思い浮かぶ。略して「ポリコレ」。人種や性別などについての差別や偏見を含まない、政治的に公平、公正、中立的な言葉や態度を指すらしい。

 多民族国家の米国で1980年代から広がった。例えば、ビジネスマンをビジネスパーソン、黒人を指すブラックをアフリカン・アメリカンなどと言い換える試みである。だが、行き過ぎた人権主義は、息苦しく、言いたいことも言えなくなると反発もあるようだ。

 こうした「ポリコレ疲れ」の米国人たちが、胸の内の「本音」を語るトランプ氏の発言を支持した―という分析も広がっている。

 力士がどこの国の出身かで祝い方が違う。そう問えば「ポリコレ」を押し付けることになるのだろうか。確かに久々の日本出身横綱を喜ぶことは決して差別ではない。ただ、喝采をそばで眺める外国出身の力士たちに思いをはせる温かみも忘れたくない。和をもって貴しとなす。日本版のポリコレを考えたい。

(2017年1月28日朝刊掲載)

年別アーカイブ