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被爆の記憶 親子の対話 NHK広島のラジオ番組 文化庁芸術祭大賞

 戦後70年を機に被爆体験を明かす母と、母の苦しみを受け止めようとする息子。そんな親子を描いたNHK広島放送局(広島市中区)のラジオ番組「あの日、母は少女だった~被爆の記憶をたどる母と息子の対話~」が、2016年度文化庁芸術祭のラジオ部門で大賞を受賞した。2月4日午前9時5分から、NHKラジオ第1で全国に向けアンコール放送される。(山本祐司)

 50分の番組は、大竹市で美容院を開く渡辺弘子さん(84)と、次男の田原彰敏さん(61)=廿日市市=がモデル。渡辺さんは13歳だった時、爆心地から約1・5キロの鶴見橋の近くで建物疎開作業中に被爆した。左腕などに大やけどを負ったが、戦後心にのしかかったのは、同級生に感じるある負い目だった。田原さんは母の話から、その心の傷に気付き寄り添っていく。

 ドキュメンタリーと朗読を組み合わせた構成は異例だった。2人が交わす実際の会話とともに、義理の親子で俳優の樹木希林さんと本木雅弘さんが母と子の役を演じて語った。微妙な心の動きを静かに、時には力強く表現し、聞く人の想像力を膨らませる。

 広島放送局は毎年8月6日に合わせ、アナウンサーたちが原爆に関連したラジオ特集を作っている。今回も昨年8月6日夜に、初回を放送した。

 芸術祭では、ラジオ部門に26作品の応募があった。「母の記憶がリアリティーを持って迫り、1人の人間の体験を時代も地域も超える普遍的なメッセージに変換させた力作」と評価を受け、頂点に輝いた。

取材・制作の中山アナに聞く

語らぬ理由に向き合う

 芸術祭大賞に輝いたラジオ番組「あの日、母は少女だった~被爆の記憶をたどる母と息子の対話~」は、聞く人に原爆のもたらした惨禍だけではなく、被爆者の抱える心の傷をも伝える。取材、制作で中心的役割を果たしたNHK広島放送局の中山果奈アナウンサー(25)に思いを聞いた。(聞き手は山本祐司、写真・山下悟史)

  ―なぜ番組に関わるようになったのですか。
 広島に着任した当初、先輩から広島原爆の日ラジオ特集のグループに入らないかと誘われたのがきっかけだった。建物疎開作業中に被爆した人に取材することになり、巡り合ったのが渡辺弘子さんだった。

 駆け出しの頃の反省を心に留めていた。松江放送局時代の2014年12月、ある被爆者にインタビューした。被爆した事実を長年隠していた男性。自由に質問できたはずなのに、本音を聞き出せたか疑問が残った。

 アナウンサーとしてもっと真実に迫りたい。「被爆体験を継承しなきゃ」と漠然と意識するのではなく、取材力を付けて真剣に向き合う必要性を感じた。被爆者取材の多い広島勤務を希望したのも、このため。今回も、今なお左腕が動かないのに平然と「こんなの苦労に入らない」と振る舞う渡辺さんの背景を探りたかったのが動機になった。

  ―番組に込めた思いは。
 取材するうち、戦後70年を機に初めて母の証言を聴いた次男の田原彰敏さんを知った。広島市職員を務め、8月6日の平和記念式典で各国来賓を案内する息子でさえ、「母の話を聞き、きのこ雲が写真でなく自分に迫ってくるように感じた」と話していた。

 記憶の継承には、被爆の惨禍を実感することが不可欠だと気付いた。記憶を共にたどる親子を描こうと思ったが、関心のない人にも聞いてもらいたい。そこで先輩の提案もあり、織り交ぜたのが俳優による朗読だった。自らも闘病経験のある樹木さんに、思いを手紙につづり依頼した。本木さんも加わり、2人が台本に命を吹き込んでくれた。

  ―被爆者の心の傷も描いています。
 取材で何度も足を運び、台本を書いて脚本家に託したが、返ってきたのは「なぜ渡辺さんが長年体験を話さなかったのか分からない」という指摘だった。追加取材して、ようやく渡辺さんが自身の心の傷について口を開いてくれた。一緒にいた同級生が、あの時、自分の発した一言で顔にやけどを負ったのではないかという懸念。持ち前の本人の「強さ」に隠れていた。

 再び台本を練り、朗読の収録当日も樹木さんのアドバイスを取り入れて書き直した。番組完成は放送日の3日前。達成感以上に放送後、聴いた渡辺さんから「生きていてよかった」と感想をもらったのが、心に染みた。話したい気持ちを押し殺して生きざるを得なかった渡辺さんのつらさが、ほどけたようだった。

  ―伝えたいことは。
 受賞を機に、番組を聞きたいと思ってくれる人が増えたらうれしい。物語ではなく本当に身に起きた出来事だということを、聞く人に訴え掛けたい。誰もが通る13歳の時に受けた少女の心と体の傷は、70年以上たっても残る。それが被爆者だと感じ取ってほしい。

なかやま・かな
 広島市出身。ノートルダム清心中・高(西区)卒業後、東京大に進学。アルバイトでNHK手話ニュースに携わる番組スタッフの熱意を感じ、入局を志望。2014年4月に就職し松江放送局(松江市)に勤務。16年3月から広島放送局。

(2017年1月30日朝刊掲載)

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