×

社説・コラム

防長トーク 円通寺住職・上山満之進に学ぶ会 児玉識さん 台湾総督の足跡たどる

地域主義の先駆 交流に力

 防府市出身の11代台湾総督上山満之進(1869~1938年)の足跡をたどり、台湾との交流を探る活動に地元住民たちが取り組んでいる。なぜ今、上山なのか。交流をどう進めるのか。昨年10月に発足した「上山満之進に学ぶ会」会員で、伝記を著した同市富海の児玉識さん(83)に聞いた。(宮野史康)

  ―上山とはどのような人物ですか。
 反差別を若い頃から貫き、郷土の発展に貢献した政治家だ。防府市江泊の塩田地主の次男として生まれ、帝国大法科大(現東京大法学部)で学んだ。農商務省次官、貴族院議員などを経て、1926年から約2年間、11代台湾総督を務めた。

 上山は、先住民の保護に強い関心を抱いていたようだ。例えば、辞任時に受け取った、はなむけの大半を、先住民族の言語や文化の研究のため、台北帝国大(現台湾大)に寄付している。成果は2部3冊にまとめられた。

 晩年には私財を投じ、三哲文庫(現防府市立防府図書館)を開設した。完成を前に亡くなったが、3年後に図書館は開館した。

  ―上山に学ぶ意義は。
 来年、没後80年を迎える。「国をつくるのは多数無数の常民(民衆)」と考えた上山は、地方の民衆を重視した。貴族院議員の頃、地主と結び付いた政友会寄りの政権に反し、小作農民の保護を主張。反発を買った政友会の議員から暴行を受けたこともあった。

 消滅可能性都市や地方創生が語られる今こそ、地域主義の先駆者である上山から学ぶ意義がある。

  ―伝記編集の過程で2015年、台湾の近代美術を代表する洋画家陳澄波(1895~1947年)の油絵「東台湾臨海道路」が防府図書館で見つかりました。
 上山が台湾総督を辞任する際、陳に制作を頼んだ作品。台湾・嘉義市出身の陳は、東京美術学校(現東京芸術大)で学んだ。国民党軍が台湾住民を武力弾圧した1947年の二・二八事件で処刑された。画業への評価は国際的にも高い。

 2015年8月に嘉義市を訪れたが、陳の作品のパネルが町中に展示されていて驚いた。昼食会に同市の副市長が出席し、防府市での作品発見への関心の高さがうかがえた。姉妹都市関係を結ぼうという提案もあった。

  ―昨年12月には、台湾から陳の子孫や研究者を招いてフォーラムを開きました。
 上山の功績を知り、嘉義市との交流の可能性を検討した。約230人が集まり盛況だった。嘉義市長も「一枚の絵画が両市を結び付け、友好の懸け橋として日台の絆を深めている」とメッセージを寄せてくれた。一歩を踏み出すことができた。

  ―これからどのように交流を進めますか。
 絵画を通した交流が考えられる。防府市には雪舟の国宝「四季山水図(山水長巻)」など日本画の傑作がある。有志で相互に現地訪問する方法もある。

 防府市にとってもチャンスだ。県と台湾は現在、宇部市の山口宇部空港からチャーター便で結ばれている。上山と陳との関係を生かせば、多くの旅行者を防府市に呼び込むことができるはずだ。

こだま・しき
 1960年、下松高で教諭となる。宇部高専、水産大学校(下関市)などに勤め、98年から龍谷大文学部教授。2002年に退職。専門は近世仏教史。防府市出身。京都大大学院文学研究科修士課程修了。

(2017年2月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ