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丸木スマの原爆画 発見 「原爆の図」描いた位里の母 広島の親族宅

 「原爆の図」を妻の俊と合作した広島市出身の画家丸木位里の母で、画家の丸木スマ(1875~1956年)による原爆の記憶を描いた絵が、同市西区の親族宅で見つかった。研究者は「被爆直後の光景を生々しく描いていて貴重。『原爆の図』との関係性も興味深い」と評価している。(西村文)

 絵は約45センチ四方の和紙に、墨と水彩で描かれている。傷を負った人々が列をなして橋を渡る姿が中央に描かれ、赤ん坊を抱いてしゃがみ込む女性、川の中に折り重なる人々も見える。掛け軸に仕立てられ、上部の軸の表面に「ピカドン」と記入されている。

 丸木家関連の作品を研究する原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)の岡村幸宣学芸員らが1日、スマのひ孫で鍼灸(しんきゅう)師の丸木直也さん(47)が住むスマの旧宅を訪れて調査。押し入れに眠っていた木箱に、スマや位里、俊の作品20点余りを見つけた中に含まれていた。

 スマはこの旧宅で被爆し、夫をはじめ親族を亡くした。画中の橋は、自宅に近い三滝橋と思われる。位里は原爆投下の数日後、疎開先の埼玉から広島に帰り、俊もその後、広島に入った。「原爆の図」に刻んだ被爆直後の光景は、スマの体験談にも想を得たとみられている。

 スマは、俊の勧めで70歳を超えてから絵筆を執るようになった。犬や猫、鳥、草花などを主題にした素朴で力強い絵で知られる。

 岡村学芸員は「スマさんが絵を描き始めて間もない、1950年ごろの作品ではないか。原爆を題材にしたスマの絵は数点現存するが、ここまで生々しい描写は初めて見た。『原爆の図』に描かれた人々の姿とも重なる」と話す。公開に向けて関係者と方策を探る。

(2017年3月4日朝刊掲載)

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