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音楽は心に届く「共通語」 演奏家と意見交換

 音楽と平和をテーマに海外の演奏家4人と、広島ゆかりの若者4人が意見を交わすワークショップが原爆資料館(広島市中区)でありました。中国新聞ジュニアライターだった2年前、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を学ぶスタディーツアー(ヒロシマ平和創造基金主催)で欧州を訪れた山口県立大1年の河野新大さん(19)が若者の一人として参加、英語での対話の内容を報告してくれました。

山口県立大の河野さん報告

 演奏家たちは、広島交響楽団のコンサートに参加するため北米やポーランドから訪れました。カナダのピアニスト、シャルル・リシャール・アムランさん(27)が広島の被爆ピアノで、ポーランド出身の作曲家ショパンの曲を演奏した後、意見交換を始めました。

 私は、2年前のスタディーツアーでポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を訪れた経験を話しました。収容された人は高圧電流が流れる周囲の柵に「決して越えることはできない」と絶望したでしょう。しかし音楽は柵に遮られず、全ての人の心に届く「共通語」。平和を広く発信できると訴えました。

 ピアニストの三上恵理子さん(27)=安佐南区=は、祖母の被爆証言を聴き、平和を願う気持ちを音色に乗せて奏でた体験を紹介。AICJ高(安佐南区)3年の佐藤征哉さん(18)は被爆ピアノを弾いた経験を基に、「音楽は平和にどのような形で貢献できるか」と質問しました。

 「原爆で自分のような普通の少女も消えてしまった」と強調したのは五日市高(佐伯区)3年の木村智子さん(18)。放送部でこの被爆ピアノを取材した時、持ち主だった19歳の女性の日記を読んだそうです。ピアノの存在と一緒に、核兵器の悲惨さを伝える大切さを説きました。

 リシャール・アムランさんも、演奏するうちにその女性の姿を想像したと振り返りました。「女性もショパンの曲を弾いたのだろうか。原爆で亡くならなかったら世界的なピアニストになったかも」。もの悲しくも力強い音色を奏でた感想をそう語りました。

(2017年3月6日朝刊掲載)

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