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高橋さんを表彰 「証言活動、命の限り」

■記者 山本祐司

 第20回の谷本清平和賞の贈呈式が9日、広島市中区の広島工業大広島校舎であり、元原爆資料館長の高橋昭博さん(77)=西区=を表彰した。

 財団法人ヒロシマ・ピース・センターの鶴衛理事長が「長年、世界に平和を訴え続けてきた高橋さんをたたえたい」と述べ、表彰状や記念品を手渡した。

 高橋さんは9月の主要国(G8)下院議長会議(議長サミット)で各国議長に被爆体験を証言したばかり。「命のある限り、証言活動を続けたい」と決意を新たにしていた。

 高橋さんは爆心地から1.4キロの旧制広島市立中(現基町高)で被爆。1979-83年に原爆資料館長を務めた。受賞理由では、館長時代の被爆資料の館外貸し出しや修学旅行生らへの証言活動、平和行脚などを挙げている。


谷本清賞20回目 ヒロシマの思い伝え

■記者 森田裕美

 米国で被爆の惨状を伝えた故谷本清・広島流川教会牧師の精神を引き継ぐために創設された「谷本清平和賞」が、20回の節目を迎えた。平和への地道な活動を顕彰し、被爆地からのメッセージを発信する役割は大きくなるばかりだ。

 主催するのは財団法人ヒロシマ・ピース・センター(鶴衛(まもる)理事長)。戦後まもなく渡米し、各地を行脚して被爆者の渡米治療に力を尽くした谷本氏が講演の謝礼金などを積み立てた1億5000万円を基金とした団体だ。初代理事長の谷本氏が77歳で死去した翌年の1987年、名を冠した賞が生まれた。

 広島工業大などを運営する学校法人鶴学園創立者の故鶴襄(のぼる)氏が二代目理事長となり、創設した。「恒久平和の実現と原爆体験の風化を食い止めるため」という目的だった。米ソ冷戦時代。核戦争の危機は身近だった。

 第1回のノーマン・カズンズ氏は原爆孤児の精神養子運動を提唱、ケロイドが残る被爆者女性の渡米手術を支えた。第2回のフロイド・シュモー氏は被爆後の広島で「ヒロシマの家」建設に励んだ。そして原爆詩人の栗原貞子氏、原水禁運動の支柱・森滝市郎氏…。被爆地の復興や核兵器廃絶運動に尽くした、よく知られた人物が次々と名を連ねる。

 やがて、足元で被爆地の運動に携わる人たちが目立ちだす。牧師として韓国人被爆者援護に尽力した金信煥(キムシンファン)氏、広島、長崎で修学旅行生受け入れを進めた江口保氏、舟入高で原爆演劇指導に取り組んだ伊藤隆弘氏…。

 センターの増村浄明事務局長(66)は「賞自体に派手さはない。平和のために一途に活動する人を地道に応援するのが私たちの仕事」と説明する。対象は、国籍や活動規模を問わず文化芸術、教育、被爆者援護など多様な分野に上る。賞金は50万円。谷本さんの親族や鶴学園関係者らでつくる理事会が選考する。過去3回、故人も対象となった。

 賞は定着し、草の根の活動を支える役割を果たしている。2000年に受賞したワールド・フレンドシップ・センターは、被爆地を訪れる外国人との交流や欧米への使節団の派遣を通じ、世界にヒロシマを伝えてきた。森下弘理事長(78)は「その努力を世間に広く知ってもらったことで活動の励みとなった」と振り返る。

 節目の今年、受賞した元原爆資料館長高橋昭博さん(77)は、生前の谷本牧師とも親交があった。「遺志を継ぐ賞をいただき光栄。今度は私が若い世代に伝えたい」と語り、平和構築の一層の推進力となる決意を表明した。

(2008年11月11日朝刊掲載)

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