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震災の記憶継承 ヒロシマに学ぶ 東日本の自治体 原爆ドームや資料館視察

遺構・遺品 伝え方注目

 原爆の悲惨さを70年以上伝え続ける被爆地広島の「継承」の歩みが、東日本大震災の被災地で改めて注目されている。広島市中区の原爆ドームや原爆資料館を視察する岩手、宮城、福島県の自治体関係者がここ1年で増えた。震災遺構の保存や被災体験の記録に役立てるためだ。震災から11日で6年。記憶を次代へつなぐ共通の課題を前に、被爆地と被災地の結び付きが強まりつつある。(根石大輔)

 広島市と原爆資料館によると、2011年3月の震災後、3県からの視察は少なくとも18件。半数の9件が16年以降という。多くは地震や津波、東京電力福島第1原発事故で被害を受けた市町の職員や議員で、宮城県の知事も訪れた。継承の取り組みの本格化を物語る。今月1日も福島県大熊、浪江、双葉3町の担当者7人が原爆資料館などを巡った。広島市平和推進課は「被災地の復興が落ち着けばさらに増える可能性もある」とみる。

 視察団メンバーが熱心に見入ったのが同資料館に展示された遺品だ。原爆投下の時刻で止まった懐中時計、熱線にさらされ変形した三輪車…。被爆者の苦しみや悲しみの「伝え方」を学ぶ。3町の視察団に加わった大熊町企画調整課の愛場学係長は「惨状や被災者の思いを後世に伝えたいのは被災地も同じ」。昨年9月に訪れた岩手県復興局の田村荘弥総括課長も「『物言わぬ語り部』の力を実感した。震災被害の伝承施設を造る時の参考にしたい」と話す。

 保存か解体かで揺れ、原爆投下から20年たって決着した原爆ドームの「遺産化」の経緯も被災地の関心を引く。鉄骨だけが残り、津波の怖さを伝える宮城県南三陸町の防災対策庁舎は、職員ら43人が犠牲となった象徴的な遺構とされる半面、「惨劇を思い出したくない」と解体を望む声も強いという。「再生・復興」と「保存・継承」のはざまで被爆地も経験したジレンマ。広島市平和推進課は「拙速に結論を出せるものではない。じっくり議論を」と助言する。

 翻って被爆地も被爆者の老いが進み、継承は難しさを増す。原爆資料館の加藤秀一副館長は「目に見えない放射能の被害をどう伝えるか、被災地での手法に逆に注目している。参考にできることはこちらでも取り入れたい」。バーチャルリアリティーなど最新技術の活用も視野に入れた被災地の「震災アーカイブ」づくりなどに関心を寄せている。

東日本大震災の体験継承の取り組み
 福島県は2020年をめどに、震災の経験を発信する「東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設」の整備を計画。岩手県は19年夏までに津波被害を伝承する施設の陸前高田市への設置を目指している。このほか岩手、宮城、福島県がそれぞれ、震災復興祈念公園の整備を計画している。

(2017年3月8日朝刊掲載)

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