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民喜のおいの証言収録 広島花幻忌の会 12日「碑前祭」で上映

 広島市出身の被爆作家、原民喜(1905~51年)を顕彰する「広島花幻忌の会」が、民喜のおいで著作権を継承した原時彦さん(82)=西区=の証言を記録する取り組みを始めた。同会の会員たちが2月下旬、民喜ゆかりの地を時彦さんと歩き、様子をビデオに収めた。12日午後1時半から中区の原爆資料館で開く「碑前祭」で上映する。

 「民喜が歩いたであろうコースをたどってみたいと思います」。2月下旬、市内の京橋川に架かる栄橋のたもとに立った時彦さんは、カメラにそう語り掛けた。栄橋は、民喜が被爆直後に避難する際に立ち寄った橋であることにも説明で触れた。

 この日は、時彦さんが戦時中に通っていた広島陸軍偕行社付属済美国民学校があった中区内をスタートし、栄橋、東区の饒津(にぎつ)神社、鶴羽根神社などを経て、広島東照宮までのコース。それぞれの場所で時彦さんが、当時の広島の街の様子や民喜とのゆかりを語った。

 民喜は爆心地から1・2キロ、幟町(現中区)の生家で被爆。その惨状を手帳に克明に記し、小説「夏の花」に結実させた。時彦さんは疎開していて無事だったが、弟の文彦さんが被爆死した。その後、避難先で民喜としばらく暮らした。

 広島東照宮で時彦さんは、原家が原爆投下翌日の8月7日に疎開する予定で、それが弟の運命を分けたことを明かし、「明日を計り知れないのが人の運命だろう」と語った。「証言を聞き、もし自分がその場にいたらどうなるだろうか、と想像してほしい」と力を込めた。

 一緒に歩いた会員の片山典子さんは「貴重な証言をきちんと記録し、次代に残したい。生前の民喜、戦前の広島をじかに知る時彦さんの語りで、民喜の作品に描かれたような暮らしが一瞬で断ち切られたことが伝われば」と願う。

 碑前祭は民喜の命日(3月13日)にちなんで開いている。市内を巡った映像を交え、被爆前後の広島の様子を時彦さんが語る。民喜の作品の朗読などもある。同会事務局Tel0827(97)0826。(石井雄一)

(2017年3月9日朝刊掲載)

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