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被爆建物の旧陸軍被服支廠 耐震化ネック 活用難航

 広島市南区に残る被爆建物「旧陸軍被服支廠(しょう)」の活用策が決まらない。ことしで完成から100年目。管理する広島県は保存を前提に民間への貸与を視野に入れるが、総額80億円以上と見込まれる耐震補強工事費がネックとなっている。(野崎建一郎)

 旧被服支廠は1・7ヘクタールの敷地にあり、赤れんがの壁が特徴的な鉄筋3階建ての4棟からなる。軍服や軍靴を製造したり、物資の貯蔵、配給をしたりする拠点として1913年8月に完成。爆心地から2・7キロ離れていて原爆投下時には倒壊や焼失を免れ、被爆者の臨時救護所になった。

 戦後は広島大の学生寮や運送会社の倉庫などとして使われたが、97年以降は空いたままになっている。建物には原爆の爆風でゆがんだ鉄扉が残っており、住民有志などが「被爆建物として残してほしい」と要望している。

 だが、保存には1棟当たり20億円を超す耐震補強工事が必要となる。戦後、土地、建物の約4分の3を取得し、残りの国有地も含めて管理する県は「厳しい財政の中で、これほど多額の支出は難しい」と打ち明ける。

 県は民間への貸し出しを視野に入れる。有料か無料かは決めていないが、借り主が耐震補強工事や内装改修の費用を負担する形を想定する。倉庫利用などで年間数件の問い合わせはあるものの、契約には至っていない。

 県では97年に瀬戸内海の歴史や文化、産業を紹介する博物館構想が浮上したが、財政難で休止に。ロシアのエルミタージュ美術館の分館誘致で、候補地の一つになったが、県は2006年に誘致見送りを表明した。

 「歴史的な価値があるので、壊すことは考えていない」と県財産管理課。樹木の伐採や雨どい修理などで年間約100万円をかけて維持管理をしており「当面は、付近の住民に迷惑を掛けないような形で管理を続けていきたい」としている。

(2012年8月3日朝刊掲載)

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