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母国へ届けるヒロシマ 広島市嘱託職員リチャード・ドルフさん

■記者 田中美千子

 郷里の米国サンディエゴ市で1人暮らしの母(68)が病気で倒れた。介護のため年明けに帰国する。7年過ごした大好きな街、広島。離れるのはつらいが、自分だからこそ母国でできることがある-。そう前向きに考えている。

 広島市中区の市嘱託職員リチャード・ドルフさん(37)。3年前から広島ユースホステル(東区)の通訳ボランティアを務めている。被爆者を招き、ほぼ月1回開く「平和と国際交流の夕べ」。海外からの宿泊客に被爆証言を届けてきた。多い日は数十人が聞く。

 たまたま聞きに行った際、言葉に詰まっていた日本人の通訳に助け舟を出したのがきっかけだった。次の回から通訳を引き継ぎ、30回近くになる。

 米国が落とした原爆に壮絶な体験を強いられた人たち。回を重ねるたび、やり切れなさも募った。母国では原爆投下正当化論が根強い。「最悪なことをしたとなぜ分からないのか。腹立たしくて…」

 「ピカ」「入市被爆」など、新たな用語も覚えた。一つ一つの言葉を、できるだけ忠実に伝えるために。「ヒロシマの痛みを初めて知った」。何人もの宿泊客が涙した。

 「夕べ」での通訳は来月が最後になりそうだ。「謙虚で誠実」「日本語も完ぺき」。仕事ぶりを見てきたユースホステルの職員も惜しむ。何よりの餞別(せんべつ)は、最近の回を収録したDVD。自国の若者に見せたいと思う。理解を得るまで、長い道のりだと分かっている。「母校から始めますよ」と笑った。

(2008年11月18日朝刊掲載)

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