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[核なき世界への鍵] 被爆者再びつくるな 日本被団協の藤森さん 国連で演説

全ての国に条約締結迫る

 再び被爆者をつくるな―。米ニューヨーク・国連本部での「核兵器禁止条約」の制定交渉会議初日の27日、日本被団協事務局次長の藤森俊希さん(73)=長野県茅野市=が被爆者代表として演説した。母親に聴いたヒロシマの惨状、今も続く被爆者の苦しみ…。非人道的な被害を直視し、核兵器を廃絶する条約を全ての国が早く結ぶよう迫った。 (ニューヨーク発 水川恭輔)

 議長に紹介され、国連総会議場の壇上へ。各国政府の要人や高官を前に、広島原爆の爆心地から2・3キロで被爆した自らの体験を語り掛けた。

 当時は1歳4カ月。母のカスミさん(2002年に98歳で死去)に背負われて病院に向かう途中だった。「目と鼻と口だけ出して包帯でぐるぐる巻きにされ、死を迎えるとみられていた」。自身を含め家族8人が被爆。当時13歳の4番目の姉敏子さんは遺骨が見つからなかったと語った。

 敏子さんは市立第一高女(現舟入高)1年。今の平和記念公園(広島市中区)南側の建物疎開作業に動員されて全滅した生徒541人の1人で、毎年8月6日、家族で同校の慰霊祭へ参加し続けた。「私が奇跡的に生き延び、国連で核兵器廃絶を訴える。被爆者の使命を感じる」

 母は毎年原爆の日に子どもを集め、涙を流しながら「あの日」を伝えた。なぜ語り続けるのか。母が「あんたらを同じ目に遭わせとうないからじゃ」と言っていたことも演説で紹介した。これこそが、非人道的な体験を基に廃絶を訴えてきた被爆者運動の源と世界へ伝えたかった。この精神を条約に盛り込んでほしいとも考えている。

 スピーチの最後、日本被団協の提唱で昨年4月に始まった「ヒバクシャ国際署名」への尽力を誓った。全ての国に禁止し廃絶する条約を迫るため、20年までに数億筆を目指す。「ともに力を」。連帯を呼び掛け、会場は大きな拍手で包まれた。「被爆者が世界にどう受け取られているか、かみしめた。被爆国日本政府は、世界の理解が得られるように核兵器をなくす先頭に立ってほしい」

(2017年3月29日朝刊掲載)

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