×

社説・コラム

『論』 3・11被災者の今 「対話」通し 向き合おう

■論説委員・田原直樹

 今月初め、宮城県気仙沼市を訪ねタクシーに乗った。走っていると、車窓に盛り土した区域が広がった。「工場でも呼ぶつもりなのかね。来る会社なんてないよ」。高齢の男性運転手は目をやることもなく、あっけらかんと言った。

 東日本大震災から6年。5年の節目を過ぎてから世の中の関心は一層薄れつつありはしないか。かく言う自分も、震災の何を知っているだろう。歳月がたっても被災者に寄り添い、震災を記憶するには何をすべきか。被災地を巡って考えてみた。

 高台のリアス・アーク美術館で車を降りた。常設展示室の一角には、傷だらけの炊飯器やカメラなど津波で流された物が並ぶ。震災後に学芸員が集めたもの。市民の暮らしの記憶を宿す品だから、がれき扱いせず「被災物」と呼ぶ。一つ一つに物語が添えてあり、思い出がぽつり、ぽつり語られる。

 例えばトランペットには、こう言葉がつづられている。「東北大会まで行って、今でもたまに吹奏楽部のメンバーで集まるんですよ。2人かけちゃいましたね…」

 他に例のない展示手法をとった理由を「被災者が言葉を失っていたから」と担当学芸員は話す。

 震災に、誰もがぼうぜん自失となった。悲しみやつらさを抱えたが言い表せない。地域に暮らす学芸員が被災物に目を向ける。一つ一つを検討して物語を添えた。被災者の思いを展示品に代弁させる形で記録し、伝えようと。

 被災者をはじめ東北に暮らす人には、6年たっても気持ちの整理がつかない人がいる。ため込んだ思いを吐露できず、苦しんでいる人も多いに違いない。

 その言葉に着目した取り組み、哲学カフェが仙台市で続けられている。震災3カ月後から2カ月に1回程度開かれてきた。

 被災者の負い目とか、支援とは何か―など毎回、震災を巡るテーマを設定。被災した人、していない人らが40人ほど集う。中学生からお年寄りまで、時には100人近くも。2時間余りゆっくり語り、耳を傾け、考える。

 主宰者の一人で精神看護学が専門の東北福祉大講師、近田真美子さん(42)は「そもそも震災とは何かと問い直す営みです」と言う。語り、聞き、考える中で、閉じた心がほぐれる面もありそうだ。

 「震災当事者とは誰か」がテーマの回には、津波で家を流されながら、身内が死んでいない自分は被災者と言えない―と考える人がいた。被災の軽重を意識するあまり、人と話すのをためらう心理が働き、自らを追い詰めかねない。

 静かなブームを呼んでいる哲学カフェは、賛成や反対を主張したり、結論を出したりする場ではない。問いの捉え方を自由に述べ、さらに問いを深める。この仙台の「てつがくカフェ」も、誰もが安心して語り、他者の考えを聞き、震災と自分を捉え直す試みだ。

 「地元では話せないが、ここなら話せる」と福島から参加する人もいる。例えば放射線をどう捉えるか―。ものを言えば隣近所と溝が生じかねず、その話題は避けて話さないと事情を明かした。

 気軽にしゃべれない状況は被災者はもちろん、被災していない側にも息苦しい。接し方に戸惑い、ぎこちなくなりかねない。

 カフェで話が進む中で高校生が考えを話し始めたり、終了後も参加者同士で語り合ったり。たくましくなる様子に、近田さんは確信する。「長い目で見れば、対話の場が人の心を強くする」

 東北だけでなく熊本地震などの被災者に接し、支援する上でも貴重な視点ではないか。誰もがいつ災害に見舞われるか分からない。対話の効用を心に留め、被災者らと言葉を交わす機会を持ちたい。

 美術館からの帰りも同じタクシーに乗った。どんな展示なのかと尋ねる運転手に、心揺さぶる被災物の展示を語り、鑑賞を強く勧めた。男性は少し沈黙し、言った。「兄弟とおいっ子が津波でやられたから…ちょっとね」。はっとした。事情や心中も知らず無頓着に勧めたのをわびると、「一度行ってみようかな」と返してくれた。

 やはり言葉を交わすことから、何かが始まるのだと思う。

(2017年3月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ