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社説・コラム

広島原爆被爆者援護事業団 鎌田理事長きょう退任 被爆者目線が行動訓

 広島原爆被爆者援護事業団理事長で原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」の園長、鎌田七男さん(80)が31日に退任する。2001年の就任以来、高齢化が進む被爆者の医療・介護の充実に努め、広島大時代から取り組む放射線被曝(ひばく)の実態に迫る研究も続けてきた。被爆地の医師の務めや今後の活動を聞いた。(西本雅実)

―理事長・園長として最も心掛けられたことは。
 入園者の安全に尽きる。「のぞみ園」(定員300人)の平均年齢は88歳となり、感染症はもとより転倒の防止に努めてきた。「看取り介護」も求められる。事業団運営の「舟入むつみ園」(同100人)「神田山やすらぎ園」(同)と3園の介護力向上のため研修などに力を注ぎ、資格取得も図ってきた。「被爆者の目線であるか」「公正か」「誠実な対応か」を唱え、自らも行動訓としてきた。

  ―一般のケア施設との違いは何でしょうか。
 みんなが被爆者なので心寄せ合い、安らげる。「被爆者健康手帳があるから、ええね」と言われることもない。原爆で心身を傷つけられた人たちが、心穏やかに長生きできるようにしないと。広島県内の被爆者約8万3千人のうち約2500人が入園を待っており、来られた時には体力の衰えが目立つ。暮らしの中で体を使う重要性が増している。それで講演にも力を入れた。

  ―なぜですか。
 医療・介護の制度がどんどん変わっているからだ。在宅被爆者の介護保険の利用申請を12年に調べると、71%がしていなかった。どこへ相談すればいいのか、各自治体の担当者、かかりつけ医も積極的にアドバイスしてほしい。

  ―自身の研究を「広島の地だからできる、しなければならない」と言われてきましたが、今後は。
 4月からは三原市内の病院に常勤し、「被爆者外来」で実践的な支援をする。広島大で始まる「放射線災害・放射線健康リスク科学」の講義や、広島市の「被爆体験伝承者」の養成、NPOが開設する「被爆体験継承塾」にも協力する。内部被曝の問題を含め原爆は解明されてはいない。人生の第4コーナーを駆け抜けられるかは神のみぞ知るところだが、体が動く限り務めを果たしたい。

かまだ・ななお
 1961年広島大医学部卒。97~99年広島大放射能医学研究所(現放射線医科学研究所)所長、放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)会長を務めた。専門は血液内科学。広島市西区在住。

(2017年3月31日朝刊掲載)

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