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被爆証言者 相次ぎ名乗り 川崎さん・篠田さんに7日委嘱 「元気なうちに」応募増える

 広島市が募る「被爆体験証言者」が増えている。新たに加わるのは、西区の川崎宏明さん(78)と中区の篠田恵さん(85)。壮絶な体験を語ることはほとんどなかったが、元気なうちに次世代へ伝えたいとの思いを強くした。7日に原爆資料館で委嘱状を受け取り、5月から本格的に証言活動を始める。(桑島美帆)

 当時7歳だった川崎さんは東観音町(現西区)の自宅で被爆。爆心地から1・3キロ。玄関で靴を履いた瞬間にピカッと光り、天井が落ちて真っ暗になった。祖母に手を引かれて避難する際に見たのは家屋の下敷きになる人、歩きながら突然倒れる人。あちこちで家が燃える光景なども鮮明に覚えている、という。

 長年、大手建設会社で忙しく働く生活が続き、自らの体験と向き合うことはなかった。被爆者健康手帳を申請したのも転勤先から広島に戻った40代に入ってからだ。「無意識のうちに消し去りたいという思いがあった」と心境を語る。

 転機は1997年。被爆当時1歳で、全身にガラス破片が突き刺さったが一命を取り留めた弟を、55歳で肺がんで失う。川崎さん自身も50代半ばで心筋梗塞を患った。被爆者の心臓疾患のリスクが高いというデータもある。最初は「証言者」ではなく「被爆体験伝承者」の方にまず応募したのは、放射線の影響について知識を深めたいと思ったからだ。昨年秋から活動を重ねるうち、自分の体験も語ろうと決意した。

 篠田さんは大芝町(現西区)の自宅で被爆し、2歳だった弟を2カ月後に亡くした。爆心地近くで銀行員として働いていた姉の遺骨はいまだ見つからない。自身はあの日、鶴見橋付近で建物疎開作業に出るはずだったが休んだ。3人の子育てに追われる一方、助かった後ろめたさもあって人前で語ることはなかった。

 孫にせがまれたのを機に徐々に語り始めた。「78歳で膵臓(すいぞう)がんになり、私もいつどうなるか分からない。体が続く限り、人の命が地球より重いということを伝えていく」と篠田さん。

 市の証言活動の実務を担う広島平和文化センター啓発課によると、被爆者の高齢化が進む一方、活動を始める人は増える傾向にある。「できるうちに語っておこうと使命感に駆られる人が多い」という。市として被爆体験証言者の募集を始めたのは83年。活動する人は10~30人台で推移していたが、3年前からは40人を超えている。本年度は47人の予定だ。

(2017年4月3日朝刊掲載)

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