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動員学徒「あの日」映画に パリ在住松島さん制作「原爆恐ろしさ伝える」

級友犠牲 関さん出演・証言

 原爆で建物疎開作業中の級友を多数亡くしたジャーナリスト関千枝子さん(85)=東京都品川区=の証言を基に、フランス・パリ在住の通訳で撮影コーディネーターの松島和子さん(44)が動員学徒をテーマにした記録映画の自主制作に挑んでいる。若い犠牲に焦点を当て、核兵器廃絶のメッセージを日仏両国の次代に伝える。(野田華奈子)

 「広島の一番暑い時季、私たちは小さな兵隊だった」。あの日、動員されて犠牲になった学徒を追悼する碑に触れ、当時を語る関さんをカメラが捉える。広島市中区の平和大通り一帯で今月2~4日の3日間、松島さんによる収録が進んだ。

 県立第二高等女学校2年だった関さん。原爆投下当日は、爆心地から約1キロの雑魚場町(現中区)での建物疎開作業を体調不良で休み、同約3キロの宇品町(現南区)の自宅で被爆。自身は助かったが、疎開作業に出ていた級友はほとんど原爆死した。遺族に取材を重ね、39人の足取りと最期を克明に追った「広島第二県女二年西組」を1988年に出版した。

 倉吉市出身の松島さんは、この本をパリの知人に薦められて読み感銘を受けた。フランスの大学で映画の理論や撮影技術を学んだ経験から、関さんを中心にした記録映画作りを思い立ち、昨年8月に出演を依頼。「少年少女の被害に関心を持ってもらえてありがたい」と快諾された。

 猛火の中、手を取り合い逃げまどう学生、死に目に会いたい一心でわが子を捜す親…。関さんの本に描かれた「人間愛」を通じ、「予備知識がない人も身近に捉えられる作品にしたい」と言う。

 今後は補足取材を重ね、できるだけ早い完成を目指す。約20年暮らすフランスは核兵器保有国。「原爆の恐ろしさを伝え、核抑止力を信じる人たちとどう議論するか勉強したい」と話している。

(2017年4月15日朝刊掲載)

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