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日記が語る「八月五日」 広島の原爆資料館新展示 小さな制服も

12歳少女が川泳ぎ「今日は大へんよい日」

 1945年8月6日の広島を知って―。原爆資料館(広島市中区)が26日、耐震工事で閉じた本館に代わって東館で始めた仮設展示に、収蔵庫から新たに取り出された犠牲者の遺品が並ぶ。広島県立広島第一高等女学校(県女、現皆実高)1年だった石崎睦子さん=当時(12)=が「あの日」前日まで記した日記もその一つ。リニューアルを機に、原爆に奪われた命の重みがより伝わるよう遺族は願う。(水川恭輔)

 東館1階の企画展示室。石崎さんの日記の実物とともに、「八月五日」のページがパネルで紹介されている。川で泳いだといい、「今日は大へんよい日でした。これからも一日一善と言ふことをまもらうと思ふ」とつづられている。

 そして翌日。石崎さんを含め、爆心地から約800メートルの小網町(現中区)一帯の建物疎開作業の現場に出た県女1年223人は原爆で全滅した。

 日記は母の安代さん(85年に77歳で死去)が大切に保管していた。受け継いだ姉の植田䂓子(のりこ)さん(85)=東区=が2004年に資料館に寄贈。10~11年に公開された。今回は日記とともに遺品の制服も展示され、来館者の心に訴えかける。

 あの日、県女2年だった植田さんも南観音町(現西区)の工場に動員され、被爆した。前日の日記に触れながら妹の死を修学旅行生たちに20年以上、語ってきた。

 「惨状がずっとトラウマで…」。証言のために資料館を訪れても展示室に入るのは避けてきた。この日は、公開された妹の遺品に向き合った。「母は日記を抱いて寝る夜もあった。きちんと書き続けた日記と小さな制服から、子どもの日常が突如断ち切られた悲惨さを感じてもらえれば」

 資料館は、企画展示室で実物資料52点を紹介している。うち40点は収蔵庫から出した。来年7月の本館開館まで一部を入れ替えながら展示を続ける。

(2017年4月27日朝刊掲載)

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