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被爆67年 未来へ歩む 荒野から復興 驚き

 フクシマの子どもや記者が6日、広島市中区の平和記念公園であった平和記念式典を訪れた。67年前に原爆で焼き尽くされた街を、緑あふれる姿によみがえらせたヒロシマ。その姿を福島第1原発事故によって核の影に覆われた古里に重ね合わせ、復興への希望と勇気をあらためて心に刻んだ。

 福島第1原発から約60キロ離れた大玉村からは、小中学校3校の6人が平和記念式典にやってきた。参列は原発事故前の2010年からで計3回目。ことしは「ヒロシマの復興に学ぶ」との訪問目的も掲げた。

 「ここまで立ち直れるんだ」。大玉中3年の佐原惇之介君(15)は、原爆資料館(広島市中区)で知った被爆直後の荒野と、今の街並みの差に驚く。3校では屋外の活動制限が続いている。「県外では震災が忘れられている。自分の世代が福島を復興させ、体験を伝えたい」と決意した。

 原爆の子の像も訪ねて惨禍を学んだ。7日には、中区の安田女子高で根付く復興の象徴の被爆桜を訪ねる。

 同村の大山小には、この桜の苗木がある。「きれいな花を咲かせる桜を未来の希望にしてほしい」と同高3年吉川瑳和子さん(17)たちが3月に送った。同小6年三浦綾音さん(12)は「残酷な原爆に耐えた桜が咲くのが楽しみ」と期待する。

 桜の聖母学院中(福島市)の3人は広島YWCAの招きで訪れた。6日はノートルダム清心中(西区)の生徒と、折り鶴を再利用したブレスレットを作り、平和を願う絵はがきを描いて交流した。

 同学院中3年の高木彩音さん(14)は「時間はかかっても、広島のように復興してほしい」と願う。清心中3年藤岡小雪さん(14)は「原発や原爆の被害を繰り返してはいけない」。フクシマとヒロシマを生きる若者の思いが響き合った。(衣川圭、榎本直樹)

(2012年8月7日朝刊掲載)

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