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社説・コラム

『潮流』 三浦綾子さんの「遺言」

■論説委員・森田裕美

 「ぼくは、こんなおはなしみたいにかなしいことがおこらないよのなかをつくりたい」。7歳のわが子が拙い字で原稿用紙につづっていた。「おこりじぞう」を読んで、学校で書いた感想文だという。

 家では幼いばかりの息子が被爆を題材にした物語をそんなふうに受け止めたのかと思い、胸が詰まった。

 子どもたちの作文にはハッとさせられる。見たこと感じたことをありのまま表現した言葉には、大人がまねできない輝きがある。

 そんな感性を大切に育てたい―。熱意を持って作文(つづり方)を指導した教師が、かつて弾圧された事件を知って驚いた。

 「北海道綴方(つづりかた)教育連盟事件」。児童にありのままを描写させるのは「共産主義教育だ」と1940年から翌年にかけ60人近くが逮捕された。なし崩し的に拡大解釈された当時の治安維持法は、あらゆる市民活動を危険視し、市井の人々の日常までも縛ったといわれる。

 この事件を題材にした三浦綾子さんの長編小説「銃口」が、近年再び注目を集めている。旭川市の三浦綾子記念文学館は3年前に「銃口展」を企画し、展示パネルを活用した巡回展も全国に広がっている。

 善良な教師が訳も分からぬまま連行され、教壇を追われる―。現在国会で審議され、政府が「一般人は対象外」と説く「共謀罪」法案の行く末を想起する人も多いからだろう。

 三浦さんも戦中は教壇に立った。軍国主義教育に何の疑いも持たなかった自身への猛省から、この事件を「書き残さねば」と病を押して完成させた。最後の小説であり、三浦さんの「遺言」とも言われる。

 あとがきにこうある。「昭和時代が終っても、なお終らぬものに目を外らすことなく、生きつづけるものでありたい」。しかと心に刻んでおく。

(2017年4月29日朝刊掲載)

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